文学の旅に行きませんか

新しいことへ挑戦を

詳しく知る

オルテガ|『大衆の反逆』の読書感想|オルテガの政治思想について

この記事は約3分で読めます。

ルネサンス、宗教改革、そしてフランス革命のもたらした人間の自由と平等は、ヨーロッパ建国の精神的支柱となり、ヨーロッパの大衆がとまれぬほどの力を与えることになった。意見をもたぬ大衆が社会的勢力の中枢となり、もはや少数の哲人や為政者のみでは世論を動かせぬことになった。そのときどきの気分に流される大衆は愚衆化し、その結果として、ヨーロッパは文化の退廃をまねいた。
自由と平等を精神的支柱とするヨーロッパは、文化を復興するにも(建国精神に反する)独裁や専制政治を採用することはできず、引き続き、大衆の気まぐれで決まる民主的な政治によらなければならなかった。これが二十世紀のヨーロッパの、ヨーロッパの大衆化社会の行き詰まりである。

そもそも大衆とは何か、オルテガは大衆を次のように定義している。

 

大衆とは、みずからを、特別な理由によってーーよいとも悪いともーー評価しようとせず自分が〈みんなと同じ〉だと感ずることに、いっこうに苦痛を覚えず、他人と自分が同一であると感じてかえっていい気持ちになる、そのような人々全部である。

大衆の反逆』(p.9)

と。

だが実のところ、現代の大衆は、オルテガの時代のそれとは異なるようである。(たしかジンメルのことばだったかを借りると)現代の大衆は、みんなと同じでいたいという「一様性衝動」と、みんなと違っていたいという「多様性衝動」とをもっている。それは社会の多様性を尊重する風潮やファッションの流行にあらわれている。したがって、現代では、オルテガの時代よりも大衆と貴族とは見分けがつかず、オルテガの述べる〈歴史のカムフラージュの現象〉もより精密になり、大衆はみずからを貴族だと疑うこともなく死んでゆく。『大衆の反逆』でオルテガが言いたいことは、またはヨーロッパの大衆化社会を打開する方法は、「大衆が貴族とは何かを問うことにある」と私は思っている。

オルテガの思想は、一言で表現するなら、「真の意味での民主政治を通奏低音にした、哲人政治の思想」である。というのは以下の三つの引用から解することができる。

 

一、〈いまもって毎日確信を強めながら信じていることは、社会は貴族的であるかぎりにおいて社会であり、それが非貴族化されるだけ社会でなくなるといえるほど、人間社会はその本質からして、いやがおうでもつねに貴族的なのだということである。(p.16)〉

 

といい、

 

二、〈ありあまるほど豊かな可能性をもっている世界は、人間の生存様式に重大な変形を加え、劣悪なタイプの人間を自動的に生みだす。(p.122)〉

 

といって、少数への、大衆の服従の意志を説き、哲人政治を主張する。これはヨーロッパへの退廃文化の警鐘でもある。

これに反して、

 

三、〈私は、この論文に歴史哲学を盛りこむつもりはない。しかし、私がいろいろな機会にはっきりと、あるいはそれとなく述べてきた哲学的信念の土台の上に、この論文を築きつつあることはもちろんである。(p.92)〉

 

といい、ヘーゲル流の進歩史観、あるいは自由・平等の普遍化、真の意味での民主政治についてふれている。

哲人政治と民主政治という一般に相反する政治思想であるが、そのどちらにも偏らないところに現実があり、そこにまた貴族の尋常ならぬ思慮の深さや、はかりしれない責任の重さを感じとることができる。オルテガのように大衆のことを考えれば考えるほど、(大衆のためを思えば思うほど、)貴族的な人の責任はどんどん重くなり、そして大衆を嫌うことになるのだろう。これも一見して矛盾するが、それが矛盾しないところにこの現実の本質があるのではないだろうか。

 

令和四年 三月

 

関連するもの:

社会
「本を読むのが苦手」という方におすすめ!
Amazon Audible(本は、聴こう!)

本を読むのが苦手......という人にこそおすすめ!
今話題の作品から古典作品までをプロの朗読で楽しめる!
12万を超える作品が聴き放題!
無料キャンペーン開催中!
音楽のように、いつでも、どこでも本を再生できる!

新しいことに挑戦する勇気をもって、いまオーディオブックで本を聴きはじめてみませんか

ライフカクメイをフォローする
ライフカクメイ

コメント

タイトルとURLをコピーしました