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カフェについて雑記

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□カフェと云うのはスターバックスが提唱する理念のとおり「第三の場所(サードプレース)」である。「第三の場所」とは、家でもなければ職場でもなく、しかし、くつろげる家のようでいて、はりつめた職場のような、雨の日も、晴の日も、ひとつところにさまざまな社会の人たちが集まる、どうして居心地の良いところである。それは創作するための工房(アトリエ)のようなところでもあって、家に居てもできる仕事をわざわざ外出して、もって、物事に没頭するモードをつくるところであって、それは外向的(アウトドア)にして内向的(インドア)な、芸術の創造的態度を象徴するところである。

 

□この「第三の場所」に行ってみると、店内には、ゆったりとした雰囲気に、渋くまろやかな香りが飛び交っていて、かろやかなジャズの流れにグラインダーのうなるような音が遠く交響していて、ひとり画面にむかった旅人もあれば、会話に花さく集まりもある。

□後者の集まりは、婦人にかぎると、かつての井戸端会議が文明化したもので、立ちながら長話もくたびれるから、空調エアコンの効いた室内で一息、お茶・菓子をもって卓を飾って、ちょっと贅沢に今様に成ったものであろう。それは相変わらず、おもしろい。

カフェの客相は、ときところによって季節のように変貌する、あるカフェの昼にはひげの濃い男たちがテーブルを書類でうめていたり、あるカフェの夜には赤いリボンの学生が過半の席を占めていたりなど、なかなかに多様である。また、男女のカップルもある。その恋の遊びを観察する孤独の人間は、ひとり愉快にかなしむという淫蕩にふけっている。

□ところで前者については、ひとりで仕事するならだれもいない家でするほうがよい、と思われる。それでもカフェで仕事するのは、ある種の熟れた果実がそのほかの実の熟成をうながすように、周囲の没頭する姿勢が、己をして仕事へと集中を促すだろうからである。

また、そこでは剛にして柔のごとき人間の冷たい温もりを感じる。それは寂しい孤独の旱魃に海水をもたらすようなことであり、渇いた心に一過性のうるおいをあたえてくれる。さらには、今風の音楽と人間でみちた空間で過ごせば、自然と、その現代の感覚が身に沁みて、その時代の群集心理にふれて、ただ安心するのか、社会を変えるアイデアがひらめくのかもしれない。

 

□この自由に交流できる場に行くというのは、それだけで、その人が社会的に日和見であるか、少なくとも健康であることを意味するだろう。というのは、ただの人間嫌いであれば群集に近寄ることはなく、根暗であれば社交の明るみから遠ざかるからである。してみると、カフェに集まる人びとは似た性質たちであって、お互いに相性が良いのかもしれない。それはまた、まだ蕾であるが、前途に創造の美しい花が開きやすいことを暗示する。

 

□ああ店内は、空想のたねがうずしおのごとく、いたるところで魅惑の吸引力をはたらかせている。この繁華街の客引きのような無数のキャッチは、この孤独の青年をどこに連れてゆくか。夜のキャッチは、客をちかくの享楽の牢にみちびくだろう。昼のキャッチは、人をかなた想像の園に連れてゆく。このブラックコーヒーの魅惑の吸引力は、空想する私を、熱帯の肥沃の農園から青天の大海原へ、雨天の大海原から東海に光る島へ、その一連の大冒険の物語へと連れてゆく。

□いま、私の隣には白雪の美女が座っている。さてその魅惑の園は、このブラックコーヒーの味よりも奥深いだろうか。

 

令和四年 十月

 

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