「自分を見つけろ」とか「好きなことして人生を送れ」とか「思うがままに」とか世の中こうした自分の価値観を見出すためのフレーズにあふれている。
「自分の価値観を見出せ」と簡単にいうけれど、実際に自分で自分の価値観を見出すことは難しい。
それがために、価値観を見出せなく、世の中で迷子になっている人は多い。
もちろん私もそのうちのひとりである。
そもそもこうした広告フレーズをつくる人にも自分の価値観を見出せていない人が大勢いる気がする。
これに反論するパブリッシャーたちは自分自身で価値観を見出していると錯覚している人であり、他者から受けいれた価値観を無意識のうちに採用して、自分の価値観であると信じているのである。もちろん中には自分の価値観を見出せている人もいるだろう。
さてこの記事では、自分で自分の価値観を見出す方法を(といっても断片的にではあるが)真摯に解説している。本当に自分の好きなことをして生きていくためにはどうすれば良いのだろうか、考えてみたい。
そもそも価値観とは何か?
まずはわたしが考える価値観の定義をご紹介したい。
わたしの定義では、価値観とは、ある対象へこだわる度合いのことである。
たとえば「マイカー」という対象へこだわりのない人であれば、その人にとってマイカーに対する価値観は低い。
「学歴」という対象へこだわりのある人であれば、その人にとって学歴とは価値のあるものとなる。
したがって学歴に対する価値観は高い。
この価値観には絶対はなく、こだわりの度合いは主観により変動する。
価値観の問題点とは?価値観のつくられかた
価値観の問題点のひとつは、自分の周囲の環境によって価値観が無意識的に規定されていくこと、自分の中に植えつけられることである。
たとえば「中学→高校→大学→就職」という価値観は、周りの人(とりわけ家族や兄弟)により勝手に無意識的に規定されていく。
「女性が独身に引け目を感じること」は「女性の役割は結婚すること」という価値観が勝手に無意識的に自分の中に植えつけられていることを意味する。
あたかもそれが自然であり常識であるかのような価値観が私たちの中には植えつけられている。
こうした価値観は絶対ではない。しかし、周りの人が常識と考えている価値観ほど、その価値観に抵抗することが難しくなる。その価値観にしたがって流れていた方が楽であり、抵抗するのは苦しいからである。
そしてここに価値観のふたつめの問題点がある。
それが、絶対的な価値観はないにも関わらず、周りの人により勝手に無意識的に規定された常識や価値観に自分がしたがっていくため、自分を見失ってしまうことである。
【価値観の問題点まとめ】
- 自分の周囲の環境により価値観は勝手に無意識的に規定されていく。
- 周りの人が常識と考えている価値観ほど、抵抗することは難しく、苦痛である。
他人指向|他人がどうしても気になる症候群
ところで私たちは「誰が何をしているのか」気になることがよくある。
「芸能人の〇〇が〇〇ダイエットをしている」とか「女優の〇〇が身につけているバッグ」とか「テレビで話題の〇〇」等々、つねに誰が何をしているのか気になっている。
社会学者リースマンは「ブランド物」や「売れ筋の商品」にみんなが飛びつくことを「他人指向型」と呼んだ。
私たちは無意識的に「人の後追い」をしており「誰が何をしているのかつねに気にしている」のである。
「LINEのトップ画像」や「Twitterのつぶやき」「Instagramのアップ写真」を見たり読んだりすれば、誰が何をしているのか一目瞭然である。
もちろんこの性質(他人指向)は昔からあったかもしれない。
しかし昔と今とでは情報レベルが比べものにならない。
現代は高度情報社会といわれている通りに、いたるところで情報の洪水が発生しており、情報がすべてを決めている社会である。
ある芸能人が〇〇ダイエットをしているのは、ある芸能人が〇〇ダイエットから価値を(自分で)見出しただけのこと。
同じように、ある女優があるバッグの価値を(自分で)見出しただけのことである。
その価値観に便乗する必要はなく、便乗すればするほど自分を見失っていく。
他人が決めた価値観に乗って人生を送っている
ほかにも価値観には「マイホーム」「マイカー信仰」「学歴信仰」「社会的地位」「自分の市場価値」「拝金主義」「ミニマリズム」等々いろいろとある。シナリオとも呼べるだろう。
こうした他人が決めた価値観に乗って人生を送っていることは、自分の人生を送れていないことを意味しており、自分を見失っていることを意味している。
どうして他人の決めた価値観に乗って私たちは人生を送っているのか?
重ねて申し上げるとおり、それが楽だからである。
しかしそれは自分の人生ではなく、他人の人生を生きていることに等しい。
自分の人生を生きるためには、勝手に無意識的に規定された常識や価値観を疑って、抵抗して、自分で自分の価値観を見出す必要がある。
どうやって自分の価値観を見出せばよいのか?自分の価値観を見出す方法とは?
あくまでも断片的な方法ではあるが、以下の方法は自分で自分の価値観を見出すための有力な方法であると私は信じている。
- 他人指向から脱却する
- 孤独になる
- 私が持つすべての常識や価値観をクリティカルシンキング(批判的思考)で点検する
1. 他人指向から脱却する
まずは他人指向からの脱却である。
他人の生活や他人の恋愛、テレビで話題の観光スポット、趣味を持たなければダメだよ、等々。これらはひとまず無視しておいた方が良い。
これらは他人の価値観であり、自分の価値観ではない。
そもそも私たちが他人の後追いをする理由、他人指向に陥る理由は、ニイチェによれば、中身のない空虚な人間だから、とのことである。
自分で自分の価値観が見出せずに、他人のつくった価値観を自分の価値観と錯覚して、その価値観に乗って人生を生きる。
他人のつくった価値観に乗って人生を送る理由は、それが楽だからである。
この他人指向から脱却できたときには、価値観の問題で行き詰まることはなくなる。
なぜならそこでは自分を追求している姿勢が見て取れるからである。
芸術家を想像していただければわかりやすい。
ちなみに「他人指向」と「他人をおもんばかること」とは意味がことなることに注意する必要がある。
2. 孤独になる
孤独になることは自分と向き合うことである。
親や友人や知人や同僚のもとから離れて、自分の価値観を見直す時間をつくること。
結局、今まで一緒にいた人たちと一緒に過ごせば、彼ら彼女らの価値観をまた勝手に無意識的に取り入れてしまうのである。
孤独の時間には「自分とは何か?」ではなく「自分のあるべき姿」を考えることが重要である。
なぜなら「自分とは何か」知っているのは自分ではなく他人だからである。
厳密にいえば、自分は他者により形成されていくからである。
無人島で生活している自分を想像していただければわかりやすい。
3. 私が持つすべての価値観をクリティカルシンキング(批判的思考)で点検する
そもそも「自分の価値観」というのは、能動的に情報を取得して自らの思考プロセスを経て得たもの・見出したものである。
しかしこれらの一連のプロセスにおいて合理化(合理的思考)は避けるべきである。
合理化は、その物事を正当化するための思考プロセスに他ならず、それが正しいことを前提として物事を考えている。
たとえば極端な話だが、「人殺しはダメ」という無意識的に絶対と規定されている常識は、その理由を深掘りしなくても、それが正しいことであることを前提している。
(私が見出した価値観では「人殺しはダメ」である)
「ダメなんだからダメなんだよ」と言う人は、もうすでに人の常識・価値観を無意識的に受け入れており、また考えることを放棄しており(思考停止)、自分とは何か見失っている状態に陥っているのである。
「人殺しはダメ」というのは共通善と考えられているが、そもそもの共通善が内容空虚なものと判明しており、私たちが無条件でそれを信じることはできないのである。
以上のような疑問が浮かび上がる背景には、信仰という中身が謎のベールに包まれた観念が、科学の進歩により、剥ぎ取られたからであろう。
いまや科学がなしくずし的に絶対の観念(信仰)のベールを剥ぎ取っている。
絶対の観念の中身が空であったことがわかり、あらゆることの前提があやふやになっているのである。
だから私たちは「合理化」という思考プロセスの対概念である「クリティカルシンキング(批判的思考)」という思考プロセスを経て価値観を見出さなければならない
クリティカルシンキングは前提にあるものをすべて疑う思考である。
自分が無意識的に、また常識と受け入れている価値観を、またその前提をすべて疑ってみること。
その根底に横たわっているのは「歴史的な出自」や「生まれ育った環境」があるかもしれない。
かなり長いプロセスになるが、それが自分自身を見つめなおすということであり、自分で自分の価値観を見出すということなのである。
まとめ
他人指向に陥入れば、私たちは高度情報社会の中で迷子になることは確実であるし、すでに迷子になっている人・自分を見失っている人は大勢いる。
自分を見失わないために、また、自分で自分の価値観を見出すためには、まずは他人指向から脱却をすること。
他人の目を気にしないことである。(ただし他人をおもんばかることとは話は別である)
そして孤独な時間をつくること。
最後に私たちの中に無意識的に規定されている常識や価値観の中身を点検することである。
点検するときの思考態度としては、合理化(合理的思考)ではなく、クリティカルシンキング(批判的思考)の態度でのぞむことが重要である。
以上の3つの方法が、自分で自分の価値観を見出すための最も有力な方法であることを私は信じている。
コメント