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意味とは何か|意味の意味について

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意味とは何かを考えるにあたって、まず辞書によって、一般に認められているその性質を調べてみることからはじめよう。

辞書には、意味とは〈記号・表現によって表され理解される内容またはメッセージ〉とある。ここで記号・表現とは、そこに表示されてある「意味」という文字(言語学の用語でシニファンという)を指す。いま鍵括弧でくくる「意味」と「意義」とは記号であり、二つは、その字の形が違ってみえるというほかはない。記号に何かを読もうとするときに内容が生じる。その記号と内容との関係性というのが一般に認められている意味である。

したがって記号に何かを読もうとしない動物にとって意味は存在しない。また記号(事物)に対して、そこに何かを読もうとする人間の数に相関して、それだけそこに関係性すなわち意味が生じることになる。

 

意味の主観性と客観性

 

さて、このようにして意味とは何かを考えると、意味とは、何かを読もうしなければ存在しない、ただ相対的に存在する関係性である。何かを読もうとするのは私であるから、意味は、私がそれに関わるときにはじめて生じる。

だから意味とは主観的なものにすぎず、そこに客観的意味または記号と内容との関係の共通性はないように考えられる。ところが、ここに書かれている文章を読めるということは、その記号に暗黙のうちに、だれもが同じように読める内容を、関係の共通性というべき客観的内容を認めている、ということでもある。ここから、何かを読もうとする私がそれに関わるしかたに一定の法則がはたらいていると考えることができよう。

ここで注意されて然るべきなのは、関係の共通性を認めるということがそのまま意味の客観性を示すのではなく、意味の主観性を示すこともある、という件である。

 

意味の主観性

意味の主観性とは、形容詞に代表される(美しい、かわいいというような)価値判断であり、空が青いというのは、だから意味の主観性である。空の青さは、ただそのような価値を認め共有するグループに通じるにすぎない。たとえば虹は、日本では七色、米国では六色、アフリカのバサ族では二色に見えるとされている。首を右左に振ることに「Yes」を読む国もある。

 

意味の客観性

これに対し、意味の客観性とは、それなくしては内容を考えられない何かであって、記号と内容との関係性を認めざるを得ない科学的法則のような普遍的真理である。いいかえるなら、あたかもだれもが同一の視座にいるように、記号と内容との一定の関係を見ることである。

 

意味の意味とは|記号に関わっている私

 

先に記したとおり、意味とは、何かを読もうしなければ存在しない、ただ相対的に存在する関係性である。何かを読もうとするのは私であるから、意味は、私がそれに関わるときにはじめて生じる。記号に何らかの内容を認める判断または関係性は、たとえば物体は質量をもっているという判断は、そのような見方をするので、そのような意味が生じているので、それは意味の客観性であり意味の主観性でもある。ただそれに関わっている私は客観的であり、関わることで意味が生じるので、したがって「記号に何かを読もうとする運動」が意味の客観性であり、意味の意味である。

 

意味を考える理由

記号から何かを読もうとするその純粋な意図、すなわち何故に意味を考えるのか(意味の意味)を考えてみると、それはひとえに私の存在感覚を得るためであるといえる。というのは意味が相対的に存在する関係性であるように、私もまた記号に何かを読もうとすることで相対的に存在する関係性であり、すなわち何かを読もうとしなければ私の存在感覚は少しづつ失われてしまうであろうから。

 

令和三年 十月

 

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