同じ発音のひらがなでも漢字に変換すると、その意味が微妙に変化します。ひらがなで「いう」と書くときにそれが意味するのは、声に出してものをいうこと、表現一般です。
表現一般から意味を区別するときに「いう」の漢字ーー「言う」「曰う」「云う」「謂う」ーーを用いることになります。ひらがなから変換されるそれぞれの漢字にはどういう意味があるのでしょうか。それぞれの漢字の字形構造を見ることで、その漢字に隠された意味は明るみにさらされるでしょう。
言う
「言う」の「言」は、漢字研究の大家、白川静さんの説に従うと、神に誓うことばをいいます。言の字は〈辛〉と〈口〉とからなり、辛は大きな針を、口は祝詞を収める器(ᆸ)をあらわします。盟誓のとき、もし違約するときは入墨の刑を受けるという自己詛盟をするの意です。だから「言う」と書くときには、そのことばは神に誓えるほどの意味を内包している、といえます。
「言」にはそのほかにも龍または鳳凰の象形、言の甲骨文は舌の甲骨文から変化してきたものという説もあるようです。しかし体系的に、一貫する方法に従う説をみると、言の意は辛(針)と口(ᆸ)とからなる自己詛盟というほうが意味がよく通るように思います。
曰う
「曰う」の「曰」は祝詞を収める器の形であるᆸの上蓋をあげて啓く、上蓋をあげてその中の書をみる形。その書の内容を他に告げる意です。古典の文、先人の言葉を引くときには多く曰を用いるとされます。「啓」は啓蒙や哲学や近代という意味に関係があるようで、心をひらくような言葉を引くときに「曰」を用いるのがよいかも知れません。
云う
「云う」の「云」は雲の象形で、雲の初文。曰と同義に用い、語首、語中、語末の助詞に用いる。語末に「〜と云う。」とあるときには、「ということである」という伝聞をしるすことが多いといいます。
云(曇)はまさに雲(浮雲)のようにとらえて、発話主体の立場とは無関係であるような伝聞をしるすことに用いるとよいかもしれません。
謂う
「謂う」の「謂」の声符は胃(い)。もと胃う。《〈説文〉に「報ずるなり」とあるが、もとは名づけるの意であったと思われる。白川静『字通』》。謂の訓義には、名づける、むね、いわれとあります。論を展開するときに、なんらかの概念を説明するときに、「これを〜と謂う」というように用いるのでしょう。
「いう」のまとめ
「いう」の漢字には「言う」「曰う」「云う」「謂う」があります。ビジネス文書のように伝達を旨とするなら「いう」または「言う」で統一すること、小説のように表現を旨とするならそれぞれの漢字を語源に遡ってみて分けることが望ましいです。
細かいことばを綿密に設定しておくと、話の筋みちは明瞭判然とするため、伝えたいことは意味がより通じ、その話の全体には安定性がもたらされると思います。
令和三年 十月
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