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無料の情報の著者の責任|ブログやSNSにおける情報発信者の悩み

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五度目の情報革命によって生まれたインターネット、その特徴は、全世界的にいつ・どこからでも個人が情報を受発信できる環境を整えたことである。「Google」や「Twitter」などは、その環境を土台とした大規模の商業施設ととらえることができよう。

本サイトをご覧のようにインターネット空間では、さまざまなサイト(お店)が出店・営業しており、その店の主人(店主)の趣味によって情報という商品を店の棚に並べることができる。もちろん商品を眺めるのは客の自由である。

ここには、店の主人を悩ませる大問題が隠されている。その大問題というのは以下に述べる「責任」についてである。


客は、だれを問わずして、いつ・どこからでも、店主の趣味でいろどられたサイト(店)へ、自由に入店できる。自由に(あるいは勝手に)入店したその客が店主の趣味を見つけて気分を害したら、それでも店主は、客に責任をとらなければならないのか、ということである。


 

インターネットは公共の場ではない

無料の情報の著者の責任

 

インターネットにおける取引の発生しない(客の自家撞着に対する店主の)責任の問題を考えるとき、まず、その場が公共の場であるのかあるいは私有地であるのかを区別しなければならない。

私たちの住まう町とは異なり、インターネットには公共の場が存在しない。インターネットにアクセスした瞬間からだれかの所有地(Googleの検索結果ページやWebサイトや各種SNSなど)に足を踏み入れることになるからである。

「インターネットにアクセスする」といえば、それはどこそこの家や施設に行くということだが、道なかで歩くことはない。「どこでもドア」のような感覚であり、扉を開ければ他人の店のなかへ勝手に入店することになる。だからここで考えるのは私有地という場である。

 

気分を害するとは?責任の発生する場合

 

店主の趣味がグロテスクであるとして、そういう類の商品を店に並べて、訪れた客の食事や勉強などの何らかの意欲を失わせることは気分を害している。

この場合は、店主は客に対して責任をとることはできない。なぜなら客は店主の私有地(サイト)に勝手自由に足を踏み入れて来たからである。どこかの掲示板の投稿を読んで気分を害しても、それは自業自得である。

しかし問題は、もっと根底の、精神的な致命傷を客に与えた場合である。

精神的な致命傷とは、具体的な例として挙げるのはむずかしいが、たとえば動物の臓器をいじくりまわす等といった表現によって、客の今後の人生をぶち壊すようなことである。

悪意ない行為によって精神的な致命傷を客に与えた場合、それでも店主は、勝手自由に足を踏み入れてきた客に対して、責任をとるべきなのか?

 

責任とは何か?

 

国語辞典を参照すると、責任とは「引き受けてなすべき任務・義務」と書かれている。しかしこれはどこか類語反復の感を覚えるため、ここでは却下する。

私の考えるところの責任とは、「ある行為が及ぼす影響を理解した上で、個人の善的意志に従うこと」である。

 

インターネットでは商品の検閲者はいないため、じぶんの趣味にしたがって店主は自由に商品を並べられる。店主の趣味をとめる検閲者はいない。いるとすれば、それは「Google」や「Twitter」などの各店舗を収容する商業施設ショッピングセンターの責任者である。しかしその責任者(プラットフォーマー)はみずからの商業施設に出店不可を命ずることしかできず、店主の趣味でいろどられた店は、どこかの街角であやしくもいとなまれているわけである。

 

有料の情報の責任|ネット教材や出版社など

たとえば有料の本であれば、客である読者の気分を害した場合、その著者や出版社が責任をとることは当然であろう。それはなぜなら信用という取引の基盤は共通財であり、その財の一部を(読者の信用を)著者らが毀損するからである。読者は、あなたの情報に安心しているから取引に応じる(本を買う)のである。

 

無料の情報の責任|掲示板やタイムライン投稿など

ところが無料の情報であれば、そもそも取引をしないため、著者が読者の信用を毀損することはない。客は勝手に店内を眺めては、気分を害するのである。

それゆえ、インターネットにおける無料の情報については、たとえ精神的な致命傷を与えたとしても、著者は読者に対する責任をとらなくてもいいと思えてくる。

 

ブログやSNSにおける著者の責任

しかしブログや各種SNSのような今後の取引の温床となる無料の情報においては事情が少しことなる。客の気分を害したとしても、店主は(著者は)有料の情報と同等の責任をとることはないだろう。

この問題に対する私の所思としては、ブログやSNSといった無料の情報で著者が責任を免れるのは、責任をもってことをなしたが、行為の及ぼす影響についての理解が足りないために読者にとって精神的な致命傷となった場合である。

情報の発信者が責任をもって(善的意志に従って)行為しなければならないのは当然なのではあるが、その責任を著者だけに委ねるのは荷が重すぎる気がする。

 

インターネットの利用者は自己防衛を

 

インターネットであれ何であれ革命のあとの環境は、欠点が至るところに見られ、整備がいきとどいていない。それは産業革命がもたらした公害や、バイオ革命がもたらした遺伝子組み替え作物やクローンなどで明らかである。

整備は長い時間を要する。情報革命の一度目は紀元前数万年前の「言語」、二度目は紀元前数千年前の「文字」、三度目は1450年ごろの「活版印刷」、四度目は1830年代の「電気通信」、五度目は1980年ごろの「インターネット」、六度目は「AI」であろう。それらはどれもみな良くも悪くも生活を激変してきている。

インターネットのもたらしている問題とは、たった一人の個人から全世界的に有害な情報が届けられることである。その情報が読者を死にいざなう場合もある。だからインターネット上の情報においては読者はみな自己防衛を要請されるのだ。

 

令和二年 十一月

 

 

 

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