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【三島文学】『葉隠入門』から学ぶこと|武士道といふは、死ぬ事と見付けたり

この記事は約7分で読めます。

『葉隠入門』三島由紀夫

 

三島由紀夫が「たったひとつの本」として称した『葉隠(はがくれ)』とはどんな本なのか?

 

『葉隠』を現代語訳した三島由紀夫の『葉隠入門』から学ぶべきことを本記事では要約して紹介している。

 

そもそも『葉隠』とはどんな本?

 

戦時中に読まれた『葉隠』は、死を美徳として、武士の士気を高めた本といえるだろう。

 

『葉隠』の著者である山本常朝がいい放つ「言葉」、この「言葉」と「世相」は相反する。

 

たとえば『葉隠』を代表する明言である

武士道というふは、死ぬことと見付けたり

というのは、武士は死ななればならないという意味である。(注)

 

この言葉と相反する世相、「武士が(戦争で)死にたくない」という思いが背後にあることを私たちは読み解く必要がある。

 


注)武士道とは、全人的な精神を代表する至高の人間像である。

この人間像を表すための方法が、武士が己自身のすべてを国家のために尽くすこと、である。

『葉隠』の著者が一芸に秀でた人物を嫌う理由もこのためであろう。


 

いま『葉隠』を読む意味とは?

 

戦争は終わったため、死を美徳として武士の士気を高める必要はないだろう。

 

では、いま『葉隠』を読む意味とはなにか?

 

いま『葉隠』を読む意味とは、「死」の意味を考えて相反する「生」の意味を考えることにある。

 

日常「生活」の論理から「思想」の論理へ!

 

ところで三島氏は『葉隠入門』にて以下のように述べている。

 

 

「葉隠」のおもしろいところは、前提のちがうものから出発して内要に共感し、また最後に前提の違いへきて、はねとばされるというところにあるといってよい。

 

 

前提の違いとは、武士であるかないか、ということである。

 

戦争はなく、武士ではないものの、私たちの身近な生活には「死」がある。

 

 

毎日「死」を心に当てることは毎日「生」を心にあてることと、いわば同じことだということを葉隠れは主張している。

 

今日死ぬと思って仕事をするときに、その仕事が急にいきいきとした光を放ち出すのを認めざるをえない。

 

 

近代の西洋で生まれた哲学は、唯物史観・合理主義である。

 

これは物事から精神性を見出すことをやめて、すべてを人間の生活に都合の良い合理的な解釈にもとづける。

 

私たちは物事から精神性を見出して「かのように」ーーなにかがある「かのように」ーー考えなければならない。

 

上の哲学は、すべての物事から精神性を見出さずに「生活」に都合の良い合理的な解釈につなげてしまい、「かのように」を土台にした考え方を失わせるのではないだろうか。

 

「かのように」が土台になければ、一等大きな心のよりどころは失われる。

 

そして「死」や「生」を考える「思想」が空虚な美辞麗句と響いてしまい、すべては生活中心の合理的な考え方にもとづくようになり、「死」や「生」の意味を考えるまでもなく、ただひたらすに「生活」に、目の前の享楽に、身を費やすことになるのである。

 

こうした「死」と「生」との価値の傾倒した時代に『葉隠』を読むことで、「生活」の論理から「思想」の論理へ移行して、私たちの「生」が躍動することになるのであろう。

 

『葉隠入門』を読んで「死」と「生」との意味をうまくとらえられずにいる私は、こうした唯物史観・合理主義的な「生活」中心の論理思考に偏っており、病が相当に深刻していることを告白せねばならない。

 


 

さて以下の文章からは『葉隠』を現代語訳する三島由紀夫氏の『葉隠入門』から学びたいことを要約している。

 

『葉隠入門』から学びたいこと!

 

私が『葉隠入門』から学びたいと思ったことは以下の7つである。

 

1. アドバイス好きな人は人間性にもっとも無知な人

 

アドバイスは人の面目をつぶして気力を失わせて恨みを買うことが十中八九である。

 

人に対してアドバイスするときは、アドバイスされる側の人が聴く耳を持っているのかどうか確かめてからアドバイスする必要がある。

 

聴く耳を持っていない場合にアドバイスすることは、「ただ気晴らしに悪口を言う説教好き」という烙印を押されることになるだろう。

 

2. 正しい判断は第三者の判断に委ねること

 

『葉隠』の著者である山本常朝氏は、本を読む理由として、このように答えている。

 

我が分別を捨てて個人の分別に付くため。

 

これは本が「第三者の判断」としての役割を果たしているからである。

 

傍目八目とも言うように、物事は第三者の外の視点から見た方がわかるのである。

 

3. どんな小さなものにも理論をもつべき

 

文豪たちの一言一句、言葉の重みは常人とは比べ物にならない。

 

言葉に重みがある理由は、小さなものに対しての理論が積み重なった結果であると私は思う。

 

「なぜ、その形容詞を選んだのか?」

「ひとつの形容詞を名詞の前に付け加えるその理由はなに?」

 

文豪の文章には小さな理論の積み重なった重みがあるのだ。

 

4. 芸術作品は時代に対する「抵抗」から生まれる

 

古今東西あらゆる芸術作品は時代に対する抵抗(抵抗を題材にしたもの)から生まれる。

 

これは「人は無いものに魅力を感じるから」であろう。

 

ところで今の「時代」を表す概念とはなにか。

 

今の時代を表す概念には「自由」や「わかりやすさ」がある。

 

「自由」に対する抵抗には「強制」や「軍国主義」「共産」があるだろう。

「わかりやすさ」に対する抵抗には「複雑」がある。

 

芸術作品を生み出すための抵抗は、時代の力が途方もなく強大であるために、抵抗しても力は失われてしまう。

 

そのために芸術作品は生まれにくい。

 

 

人間が生だけによって生きるものではないことをしっていた。

 

彼は人間にとって自由というものが、いかに逆説的なものであるかもしっていた。

 

そして人間が自由を与えられた途端に自由に飽き、生を与えられた途端に生に耐え難くなることも知っていた。

 

 

5. 理想の恋愛は「忍ぶ恋」

 

忍ぶ恋というのは、思い煩う恋のこと。

打ち明けることを我慢する恋である。

 

現代人は「忍ぶ恋」を失っており、恋愛の背丈・奥深さが欠けていることを『葉隠』は指摘している。

 

 

恋愛のボルテージは、発散した途端に滅殺されるという逆説的な構造をもっている。

 

 

「発散した」というのは「告白した」とか「愛してる」などの表現である。

 

 

いまの恋愛はピグミーの恋になってしまった。

 

恋はみな背が低くなり、忍ぶことが少なければ少ないほど恋愛はイメージの広がりを失い、障害を乗り越える勇気を失い、社会の道徳を変革する革命的情熱を失い、その内包する象徴的意味を失い、また同時に獲得の喜びを失い、獲得できぬことの悲しみを失い、人間の感情の広い振幅を失い、対象の美化を失い、対象をも無限に低めてしまった。

 

恋は相対的なものであるから、相手の背丈が低まれば、こちらの背丈も低まる。

 

 

※ピグミーとは背丈が低い人のこと

 

6. 名誉や富を求めること

 

 

名誉や富に執着のないものは、おおかたつまらない人間になって人をののしり、高慢で役に立たず、ついには名誉と富のために執着する人間に劣ってしまうものである。

 

 

野心を持つことを今の私たちに『葉隠』は勧めている。

 

7. 病気になったら禁欲せよ

 

「いまどきの病人を、半年〜2年間禁欲させれば、病気など自然と治る」と『葉隠』の著者、山本常朝氏は説いている。

 

そして今時の人が意志薄弱であることも説いている。

 

 

大体において、いまどきの人は意志薄弱にすぎる。

禁欲する位のことができないのでは、だらしないと言われても仕方あるまい。

 

 

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