1816年にフランスで初版発行された『アドルフ』（原題： ‘Adolphe: Anecdote trouvée dans les papiers d’un inconnu’）は政治哲学者であり小説家であるベンジャミン・コンスタン（1767-1830年）による「自由を求める恋愛」が主題の短編小説である。
自由主義の最初の思想家でもあるコンスタンが苦悩をもたらす恋愛に道徳的な自由の在り処を求める。
ベンジャミン・コンスタン｜『アドルフ』の要約
人と本気で話せない内気な青年アドルフは、漠然とした衝動に駆りたてられて、誰かに愛されたいと思うようになる。
政治家を父親にもち裕福な家庭に育ったアドルフは、アドルフ家と姻戚関係にあるP伯爵の家に招かれ、そこでP伯爵の愛人である美しく高貴な女性エレノールと出会う。
P伯爵から隠れて恋愛する必要、二人の身分の開き、自尊心の葛藤、それらがアドルフとエレノールとの関係をうやむやで煩雑にしたてる。
エレノールはやがてP伯爵から別離して、アドルフに連れられて一緒に国を出る。そのころ、かつての名門の地位と財産とを復権したエレノールの父親の訃報が知らされる。父親の唯一の娘のエレノールは遺産を相続することになる。
アドルフとエレノールとの二人の間を隔てる自尊心の葛藤が、恋愛から自由を剥奪し、苦悩に満ちた不如意な恋愛を二人にしいる。苦悩の恋愛が続くにつれてエレノールの容体が深刻化し、アドルフとの別離が訪れる。
ベンジャミン・コンスタン｜『アドルフ』の感想
「強い恋愛」と「弱い恋愛」と
生物の活動から生まれるあらゆる現象は、「強いもの」と「弱いもの」とに隔てられると思われる。
本作『アドルフ』の端的な主題は〈恋愛〉である。〈恋愛〉においても「強い恋愛」と「弱い恋愛」というものがあるのではないだろうか。
「強い恋愛」というのは常識的な恋愛とはかけ離れている恋愛であり、「弱い恋愛」とはありふれた大多数のするような常識的な恋愛である。
「なんとなく」という感覚によって生まれた恋愛は、おそらく世間一般にありふれた常識的な恋愛であるため「弱い恋愛」に分けられる。
これとは対蹠的にアドルフやエレノールのような一風変わった幾重もの苦悩が重なり営まれる恋愛は、世間一般の常識的な恋愛とはかけ離れているため「強い恋愛」であるといっていい。
何かを徹底する恋愛ーー諦念しない不屈の意志でもだえにたえる恋愛、対象を徹底してヒモ扱いにする高級娼婦的な恋愛、百股ほどの不倫に徹底する不らちな恋愛、マゾヒズムに徹底する恋愛、常識的な恋愛を徹底的に演じる恋愛ーーそれが「強い恋愛」である。
恋愛というのは、とにかく身勝手な思いが交錯衝突する、寛容と忍耐が求められる苦行である。中途半端な苦行の経験（弱い恋愛）は、たしかな手ごたえは得がたく、後悔し、またすぐに別の苦行（恋愛）を求めさせるものである。
アドルフとエレノールとの恋愛は、諦念しない不屈の意志でもだえにたえる恋愛であり、なおかつフランス文学に固有の不倫恋愛であり、だれにでも真似られるわけではない。また別の苦行（恋愛）を必要としない、後悔しない、常識的な恋愛からかけ離れている「強い恋愛」である。
アドルフが愛を口にするのには、エレノールの許しが必要である
アドルフとエレノールとの二人の恋愛には「愛に許しが必要」である。
これはおそらく《愛〉の深層に位置している奥ゆかしい心理から来る発言であろう。愛されることを望んでいながら同時に拒絶するという悶えるような恋愛の深層心理。エレノールがアドルフに「愛している」と告げるとき、そこには愛の二重構造のような「愛しているけど愛しない」という深層心理が潜伏している。なぜ「愛しない」のか。そこには何らかの観念による〈罪の意識〉が働いている。つまるところ二人は何か言うに言われぬ観念（思い込み）を背負っているにはちがいないのである。
それが先述の自尊心の葛藤である。
恋心に身を任せる恐怖を超えた先にあるもの
《恋心に身を任せるその瞬間の女性には、ひとの心を揺るがすなにか神聖なものがある。そこにあるのは快楽ではない。本性でもない。堕落を示すような肉の欲でもない。そこにあるのは人間社会に生きるうちに身につく判断力、経験から生まれる省察だ。》
「征服される」か「征服する」か、という恋愛の二元論を超えた身をまかすことにより到達して得られる神聖なもの。
そのような常人の知らぬ「強い恋愛」は果たして文学上でしか存在しないものだろうか。
令和二年 七月
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