1937年(昭和十二年)に文芸雑誌《文藝》に掲載された『過去世』は、小説家であり仏教研究科でもある岡本かの子の短編小説である。本作は岡本文学のなかでは珍しく厳しい重苦しい文体で描かれる。
岡本かの子|『過去世』の要約
ほたる見物を口実として久隅雪子の暮らす邸宅に招かれた女学校のころの同級生である私。二人は数年ぶりに再会する。
女学校を卒業したあとの雪子は、その邸宅のかつての住居人である上層智識階級Yのもとに寄寓したという因縁があった。
その邸宅で雪子の仕出す料理を食べながら、Yの息子兄弟(兄・鞆之助、弟・梅麿)と雪子にまつわる奇妙な逸話が終わるところで物語は幕を閉じる。
岡本かの子|『過去世』の解説
「過去世」とは仏教用語であり、一般の意味では「前世」がこれに適する。
本作では直接に「過去世」については語られはしないが、Yの邸宅に寄寓していたころの逸話である、弟・梅麿の魅惑的な裸身をみた雪子が痴呆状態におちいる場面が過去世を物語る。
かの女の筋肉の全細胞は一たん必死に収斂した。すぐ堪へ切れない内応者があつて、細胞はまた一時に爆発した。
……雪子の魅みせられたのはさういふ一々のものではない。何代か封建制度の下に凝り固めた情熱を、明治、大正になつてまだ点火されず、若し点火されたら恨みの色を帯びた妖艶な焔となつて燃えさうな、全部白臘で作つたやうな脂肉のいろ光沢だつた。それにはまた喰ひ込まれてゐる白金の縄を感じた。
封建時代のもとに生きた人が亡くなって灰と化して、その人の細胞が土に還り、よみがえり、弟・梅麿の肉体を形成し、その妖しい恨みの魅力を現世に生きる雪子に点火する。
かかる場面は、弟・梅麿の肉体美に魅せられている雪子を描いたのではない。雪子の先祖の遺伝子が梅麿の美に敏感に反応する姿態を描いたのでもない。これは土に還ってよみがえる雪子のいちいちの細胞に宿る〈前世において経験された〉魂の鼓動を描いているのである。
雪子は幽霊か?
数年ぶりに再会する久隅雪子とはなにものだろうか。なにか妖しい雰囲気が幽霊感を醸している。
おそらく雪子は幽霊なんだろうが、雪子が幽霊であるか否かを根拠づける文面は見あたらない。それが岡本の目論見なのかもしれない。なぜなら幽霊は信ずれば存在するのだから。だがひょっとすると実在するのかもしれない……
ところで幽霊が客(私)に給仕する場面は、浅田次郎の『鉄道員』でも見られるが、その作品に登場する幽霊の名前も雪子である。
重苦しい文体について
私が読むかぎりの岡本文学では、『過去世』にはほかに類をみない厳しく重苦しい文体が用いられている。
本作の妖しい妙な雰囲気を醸すに相応しい文体。全体的にみて叙情味はうすく淡白であり、情景は陰影が主体となる無彩色で描かれたような文体。『金魚撩乱』の凄まじく色鮮やかな文体とは対照的である。
仏教研究科である岡本の「過去世」にまつわる世界観、小説家としての岡本の文体の魅力とが、本作『過去世』が名作短編に数えられる由縁であろう。
令和二年 六月
コメント