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ピエトロ・アレティーノ|『ラジオナメンティ』の要約と感想

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『ラジオナメンティ』(Ragionamente、1534年)は、16世紀前半のローマ・ヴェネツィアで活躍した作家・思想家のピエトロ・アレティーノ(Pietro Aretino、1492-1556年)の代表作といわれている。

ピエトロ・アレティーノPietro_Aretino

ピエトロ・アレティーノ(Pietro_Aretino)

ルネサンス期の社会と人間とを赤裸々にさらけ出す『ラジオナメンティ』の性的描写は、ルネサンス文学の代表作である『デカメロン』と比肩され、「ポルノの元祖」ともいわれる。

 

ピエトロ・アレティーノ|『ラジオナメンティ』の要約

 

類まれな娼婦の才能をもつ高級中年娼婦のナンナは、今年で16歳になる娘のピッパの身の振り方について、頭を悩ませている。

彼女の若い時分に経験した「修道女の生活」と「人妻の生活」と「娼婦の生活」との三つの生活のうちの一つをビッパの将来に考えるナンナは、友人であるアントニアに相談する。

聞き手のアントニアは、ナンナの話すそれら三つの生活の放埒で淫乱な性的内容に興味津々となり、三つの生活の事細かな情態にときに感嘆し、ときに同感し、疑問に思ったことに口をいれる。

三つの生活がナンナとアントニアの対話形式により冒頭から末尾まで語られる。

 

ピエトロ・アレティーノ|『ラジオナメンティ』の感想

 

『ラジオナメンティ』は「ポルノの元祖」とも呼ばれており、今でいえば「官能小説」の一つとして指折り数えられる。著者のピエトロ・アレティーノが男性であるためか、同じ男性の読者であれば『ラジオメンティ』で描かれるその三つの生活の荒唐無稽さには吹き出さずにはいられないと思う。

 

翻って、女性の読者は『ラジオメンティ』をどう読まれるのだろう。男性の読者と似たように失笑する反応を示すだろうか。それとも不愉快な痴呆小説としてとらえるのか。これは気になるところである。

 

巧みな性的描写

 

ナンナの話す「修道女の生活(第一章)」からして、すでに過激な性的描写が炸裂している。

 

 

《こんなガラスの棒なんかで自分の若さを消耗させてしまうなら、やっぱりあたしたちは哀れな娘となるわけね》

 

 

 

《穴掘り棒を出したり入れたりして、千の絞首台にふさわしいほどの快楽を味わい、その棒の出たり入ったりするときの音を聞きながら恍惚としていたのよ。

 

その音は、巡礼たちが道を行くときに彼らを待っていて、ときどき彼らの靴を奪ったりする、ねばっこい粘土がたてるあのぺちゃぺちゃという音にも似ていたというわけね。》

 

 

極端に下品な印象を与えず、しかもまわりくどくない性的描写は読んでいても不快ではない。

 

 

《串は抜かないまま、彼女を腰掛けまで運び、ハープシコードの鍵盤に触れる人でもこうまではすまいと思われるほどの熱心さで指を動かしての奮闘を始めたの。》

 

 

そして修道女という侵されざる聖性を完膚なきまでに蹂躙する以下の場面。

 

《なめくじのよだれみたいな、白いねばねばしたものよ。彼はあれをあたしに三度したのよ。二度は昔ふうに、一度は今ふうに。

でも、こういうやり方、あたしは気に入らなかったわ。ほんとよ、まるで気に入らなかったわ。》

 

 

上のこの場面は、行為のあとに相手の顔に液体をかける描写である。

ただでさえ聖職者、修道女は侵されてはならない品性のもちぬしなのだが、その顔に液体をかけることによって、その品性を最大にぶち壊す。

これはサド(1740-1814)やバタイユ(1897-1962)の冒涜(禁止と侵犯と)のエロティシズムの先取りとも思われる。

 

『ラジオナメンティ』における隠部を象徴する性的描写は、一章から三章にかけての一貫性には欠けている。だがそれは著者の奇術なのかもしれない。

 

私はあまり読まないが、官能小説に適した描写というのは、具体的な名称を極端に避けて、身のまわりにある調度品を用いることが読者に不快感を与えずに、また読者の想像を自由に豊かにするのだろう。

 

著者の顔を見せない対話形式

 

性的興奮を引き起こすポルノの描写は、著者が直接にその様子を語るのでは失敗するのだろう。

第一章におけるナンナの覗きのように、間接的主観的に描写されるほうが読者に恥じらいを抱かせず、想像を自由にして、性的興奮を引き起こす効果がいっそう高いのだと思われる。

 

さらにいえば、性的描写のためにナンナがいま思いついたかのように装い、多彩な比喩を用いることにより、読者は物語にいっそう没入できる。

なぜならそこでは著者の顔が没しているからであり、読者はナンナの聞き手であるアントニアとして興味津々に物語に没入できるのである。

 

ナンナを超える娼婦はいるか?常軌を逸した性格

 

第三章「娼婦の生活」では、ナンナの、あるいはルネサンス期の娼婦というものの心的態度が奔放不羈に解き放たれる。

 

 

《だって娼婦は、誰か男を絶望させ、破産させ、気違いにしてやったことを自慢できるときにこそ大きな名声をかちとることができるものだもの。》

 

 

「エロティシズム」の一種の目的は「観念による淫蕩」である。いわば間接的に異性を征服するのであり、おそらく娼婦は、男を気狂いにいたらしめることで性的快感を得るのであろう。

 

 

淫乱な欲望というのは、娼婦たちが抱く、何かしたくてたまらないという欲求の中で一番小さいものよ。

 

だって、彼女らは他人の心も肝も抜きとるにはどう振る舞わなければならないかとしょっちゅう考えていなければならないんだもの。

 

 

このように自由奔放な会話が、物語の冒頭から末尾まで展かれる『ラジオナメンティ』は、今日、官能小説を描く万人のまさにバイブルとして読まれたい一冊である。

 

令和二年 六月

 

 

 

 

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