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井波律子『酒池肉林』の感想

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○酒池肉林、それは広大な庭園をもつて、酒で池を造り、干肉で林を飾り、また美女で庭をにぎわせて、その情景をゆつたりと眺ると云つた、権力者の贅沢な自慰である。
○権力者のかうした贅沢三昧を非難するのは容易ひ。けれども、ふりかえつて現代の生活を稽へるに、たとへば煌びやかなシャンデリアのもと、卓上のシャンパン・プレートが参差錯落としてゐる光景など、庶民もまた同じ論理で生きてゐるから、この華やかに没落してゆく生活を、滑稽なり他人事なりと安直に言ふことはできない。
○中国四千年におよぶ、皇帝・貴族・大商人らの生活(栄枯盛衰)。本書は中国の裏の歴史のやうなものであるが、読者はここに、己を戒める教訓を得る、と云ふよりも、酒池肉林のごとき生活にむかつて狂奔する者の、精神の不安定を見る。
○いつたい、彼らが異様に贅沢に耽つて、己の身体を弱らせてしまふのはなぜであらうか。

 

○著者はこのやうに言ふ、《おそらく無上の権力というものは、それを手中にした者の神経を、おそろしい勢いで麻痺させるものなのであろう。権力が強化されればされるほど、彼らの心には逆に、いかにしても埋めることのできない真空状態が徐々に広がってゆく》。
○権力を持たぬ者(庶民)にとつて権力の強化、すなはち立身出世と云ふのは、まるで旅するやうに新しい景色を楽しむことであつて、未知の世界への希望である。けれども皇帝・貴族・大商人など、すでに無上級の権力を持つ者にとつては、この希望の道は塞がれてゐるのであつて、いくら権力が強化せられても生のよろこびは得られない、後からけたたましい勢ひでやつて来る死に遁路もみつからず、生きることは進退維谷まると云つた、ニヒリスティックな絶望なのであらう。
○権力者らがかうも異様に贅沢に耽るのは、いつかおとずれる死と云ふあたりまえの現実を鋭く感じとるからであらうが(これは病床の患者が心配事をもつて、死から目を逸らすことに似てゐる)、しかし、それだけが贅沢に狂奔する原動力となるだらうか。出世をねらつて自ら去勢する者、「地獄の思いで遊んでいる」者は、あるいは庶民とはちがつた論理を持つてゐるのではないか。あるいは好奇心から快楽の園に入つたらやみつきになつてしまひ、あがゐても脱け出せない単なる中毒なのかもしれないが。

 

○著者は終章で、究極の贅沢は「絶対自由をめざす精神の戯れに身をまかせること」を説いてゐる。これは蘇東坡の《どんな時でもクソマジメに悩んだり深刻荘重になったりすることなく、絶望的な状況に陥れば陥るほど、天才的な適応力と多面的な才能を発揮して、楽しむ材料を巧みに見いだし、颯爽と愉快にきりぬける》貧にして楽しむやうな生き方である。
○これを究極の贅沢と捉へるところに著者の卓越した精神(自意識)が光つてゐる。といつても、これまでに贅沢三昧の生活を縷々と述べてゐることを思へば、述べて作らずにゐる著者のうちにも、どこか酒池肉林に対する憧憬が潜んでゐるようにも思われる。

 

令和四年 十月

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