『護持院原の敵討』は森鴎外の短編小説であり大正二年に発表された。護持院原は江戸時代までに実在した建物であり、享保二年に焼失している。本作の主題は敵討であり、敵討という江戸時代には当然に思われる義務に対する姿勢が、敵討の一行である青年宇平と壮年二人に描かれる。
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『護持院原の敵討』の要約
とある邸の金銭管理人の山本三右衛門という老人が、金銭を盗む目的で忍び込んだ者によって太刀を浴びせられた。三右衛門は息を引き取る前に「敵をうってくれるように」という遺言を倅に残した。倅の侍である青年宇平は親の敵討を遂げるため、三右衛門の実弟である四十五歳の九郎右衛門と、敵の見識人でありかつて三右衛門に世話になった四十二歳の文吉とともに旅に立つことに。宇平の妹であるりよは惜しくも敵討に参加できなかった。
およそ一年、一行はあらかた全国を遍歴したが敵を見つけることはできない。やがて宇平は一人、二人から離れて単独行動をとることになり、残す二人は神主のご託宣にしたがって江戸に帰還する。
ご託宣は的中し、江戸に帰還した九郎右衛門と文吉の二人は、とうとう敵役である虎蔵を見つけ、捕えることに成功する。捕らえられた虎蔵は逃亡を試みるが、その場に居合わせたりよに太刀を浴びせられる。
『護持院原の敵討』の解説
本作は実在した建物である護持院原にかけて敵討という制度の焼失を描いた物語である。江戸時代には敵討は美化されるに至るが、明治六年には廃止されている。
敵討の一行は三名であり、宇平を除いた二人の年齢は四十歳を超えている。彼らにとって敵討とは遂行するべき絶対の制度として捉えられているのであろう。
殺害された三右衛門の倅、十九歳の宇平にとっては、敵討に費やされる年月が無駄という思いは少なからず浮かぶと思われる。人生の進路を定める時期である十代最後の年、宇平の生活の内容は親の遺言で満たされてしまった。敵討とは宇平にとって耐えがたい出来事であったにちがいない。だから道中、敵討を辞めるとは言わないまでも、一人宇平は単独行動をとったのである。
しかし天運は宇平に傾くことはなかった。諦めを呈しない九郎右衛門と文吉とは江戸に帰還して、一年と半月の歳月を経て、ようやく敵討を遂行することができる。当初敵討の旅に参加するのを望んでいた娘のりよは、江戸に籠り情報収集を事欠かずしていた。それだからりよも手柄を立てることができたのである。
現在では敵討のように根拠不明な制度は失われている。親の遺言とはいえ青年宇平の敵討に対する姿勢は崩れかけて当然である。しかし、どのような制度や信念であれ、それに対する一貫した姿勢には時代に流されない固有の美しさがそなわるものである。宇平はその後、どのように生きたのであろうか。
令和二年 十一月
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