思考を放棄することは、自然の中の自然に離された存在のような人間が、原始の自然に帰還して、天然自然と一体となることで得られる、あるいはバッカス祭の陶酔のような、忘我の快楽である。三島は『太陽と鉄』において、このうちの対極を、すなわちスポーツに無我夢中になるような自然の人間性を追究する、ひらめきの花火の最高天を、常人の知らない別世界の感覚の発見を、その自然と一体となる透徹の感覚を志向する。
三島自身も述べているとおり『太陽と鉄』は難解である(もっとも難解な教養史となるだろう)。けれども人生に必要な教養形成というのが、目の前に立ちはだかる難解な作品を、目を逸らすことなく対峙して、闘いを通してのみ成し遂げられる何かだと思うと、難解とは作家の独りよがりというよりは、あるいはむしろ読者に設えられた冒険の舞台のように思えてくる。
私たちの生きる世界では普通、だれもが酒やセックスなどの快感をもっともっとと欲する。もし、この現実における最高度の陶酔が文学(芸術)にあるとすれば、その味を知った人から陶酔の中の最高度の陶酔を、無我夢中に追求するのは自然であろう。
『太陽と鉄』の要約
『太陽と鉄』を要約すると、以下の四つの要素に分けることができる。
【一】告白(浪漫主義)と批評(現実主義、古典主義)との中間形態、秘められた批評(浪漫主義と現実主義との超克)によって、「私」を語ることを宣言する。
【ニ】幼児期に訪れたとされる異様な現象が三島をして自分の存在の条件を「言葉の全く関与しない領域(筋肉、肉体)」に認めさせる。
【三】自分の存在を証明するためには肉体の言語による「同一性を疑う余地のない地点」における存在感覚だけでは足りなかったので、(というのは、その地点における存在感覚を、または筋肉が瓦解を免れている感覚を、認識する必要があるので、)肉体が存在して、なおかつ、認識するために見ることが必要であると考える。
【四】しかし「存在すること」と「見ること」(自意識による存在の保証。純粋に実体として存在しないこと)とは三島の立場からすると矛盾する。だから見ることにより存在するという観念を破壊するその砕けたところに入る一瞬の光輝、死に、この矛盾の解決を賭し、かくて全的に自分の存在が保証されると考える。
世のつねの人にとっては、「私」から発せられる言葉は現実に(現実を抽象して)対応する者であるけれども、三島のつもりでは例外であり、それはなんら現実に対応する者としては信じられず、その感受性の普遍性を信じるには言葉以外によらなければならならかった。それが「私」の肉体であり、「私」のsecound languageであった。
『太陽と鉄』の感想
三島の肉体の思想は「文学による自由、言葉による自由というものの究極の形態」であると同時に、近代社会以降の「全体主義の究極の形態」といえる。
言葉による自由
第一に、三島の肉体の思想を「文学による自由」「言葉による自由というものの究極の形態」というのは、三島の述べているとおり集団のための言葉は決して自立した(自由の)言葉ではないからである。これは、文学における文体の勝利を〈言葉の持つもっとも本源的な機能を、その普遍妥当性を精妙に裏切るところにかかっている〉という叙述にも通じると思われる。また、生の本質は苦悩という同苦の共同体において、言語表現は快楽や悲哀は伝達しても、しかしそれは苦痛を伝達することはできない。快楽は観念によって容易に伝達されるが、苦痛は、同一性を疑う余地のない地点に置かれた肉体だけがわかちうるものである。だから苦痛の伝達を表現可能(自由)にするには「肉体の言語(筋肉、行動)」による、集団が普遍的に死へ向かうような行動によるほかないのである。
全体主義の究極の形態
そして第二に、近代社会以降の「全体主義の究極の形態」というのは、これ(私)が仮面をかぶったうえの告白なのか、それとも素面の告白なのかどうかが判然としないからである。それはまた散る花と散らぬ花とを一身に兼ね備えるような二重の思考法を、全体性を志向する個人の「なあなあ」といって流されながら実は一方向に泳いでいるような自動運動を、個人の行動があまりにも予測不能な不安な状態をあらわすからである。だから三島は超全体主義体制であるナチスの党首をわが友に指定したのであろう。
まとめ
三島はみずからの肉体の思想によって歴史という大木を自分の望むように曲げようとしたけれども、その歴史にやられてしまったのであった。歴史にやられたというのは、われわれの時代精神の歩む道が、三島の〈集団は死へ向かって拓かれていなければならなかった。私がここで戦士共同体を意味していることは云うまでもあるまい〉に見てとれる肉体の思想を受け容れることがなかったということである。
壮年の作家はその社会的地位による責任または自己保身のためからか、たいてい自分の文体から浪漫的で夢みがちな性質を剥ぎ落とすのであろうが(学者の立場)、三島由紀夫という芸術家は、浪漫主義と現実主義という二つの欲求に折り合いをつけ、少年の日のような輝かしい目で持って、その人生を全うしたように思われる。
令和三年 十月
関連するもの:
コメント