いまの生活は退屈と思っている人は、じぶんが何を望んでいるのか判然としていない人かもしれません。愛を望んでいれば愛のために、名声を望んでいれば名声のために、望みがあればつねに目標に向かって走ることになります。そういう時、私たちは〈退屈〉という言葉を思い浮かべることはありません。
したがって望みが判然とすれば、退屈な毎日に刺激が与えられ、毎日は快活に生まれ変わるのです。だから退屈な生活を変えるには「望み」が必要であり、「いかにして望みを沸き起こすか」が問題であります。
いかにして望みを沸き起こすか?
ふと、こうなりたい、ああなりたいという望みが沸き起こるのはどうしてか?それはおそらく愛や名声など、その望みを実現したあとに得られる快感を値踏みし、その実現に必要な労力を考え、現実的に望んだものが叶えられそうなときに望みが湧き起こるのでしょう。
たとえば恋をする相手に有名人が選ばれないわけは、その望みが現実的に叶えられそうにないからです。
かくあれ、いかにして望みを沸き起こすのか、その問題を解決するにあたっては、まずは情報を、それも現実的で刺激的な情報を収集することです。その方法として、小説を読むこと、映画を視聴すること、街に出かけることの3つを推奨いたします。
小説を読むこと
小説を読むこと、それ自体が退屈な生活を変えることに適しています。また、小説に登場する人物(キャラクター)に感化され、その生き方、その性格、その立場に、目を見張るほどに憧れることは経験のあることでしょう。
有名な小説を挙げるならフィッツジェラルドの『グレートギャツビー』。その小説に登場する男ギャツビーは、かつての恋人デイジーの近所に住まい、彼女の気を惹くために豪華絢爛なパーティーを連日連夜のごとく主催するという成り上がりの大富豪です。こういう本を読むと、じぶんもギャツビーのように大富豪になって、意中の人の気を惹くために豪華絢爛なパーティーを開催したい、派手に活躍したいという望みが沸き起こるのではないでしょうか。
または『ティファニーで朝食を』に登場する女性ホリーゴライトリーのように、自由華麗に身を振る舞って、男性の注目を独り占めするのはどうでしょう。
これらは
現実的ではないと思いに蓋をしてしまえば、ほんとうに手のとどく望みしか叶えられないことになります。小説に登場する人物(キャラクター)は多様であるため、小説を読むだけでも退屈な毎日を変える契機となります。
上述の二冊は物語をイメージしやすく、さらりと流れるように読めます。
映画を視聴すること
映画で描かれる世界は一目で瞭然です。視覚に激しく訴えかける鮮やかな色づかいが、心目を魅了します。映画の主題はわかりやすいため、現実の世界にたやすく応用することもできます。
わかりやすい主題の映画の代表として『YESマン』という映画があります。「NoをやめてYesを選ぶ」という主題です。
物語は、恋人にふられたショックで放心状態となり、選択の迫られる場面で「No」といいつづけて来た男が、とあるセミナーに参加してから「Yes」をいいつづけるようになり人生が華々しく変わった、というもの。これから着想を得て、現実の世界に応用してみることーー何か新しいことをはじめる(Yes)、近所で開催されているイベントに参加する(Yes)ーーなら、退屈な生活は変わるでしょう!
街に出かけること
光るボディーで街道を滑走する高級車、天に聳える高層ビル、爆発的なボリュームで音楽を奏でる路上ライブ、しんと静かな本屋、男女のカップル、容姿の整った美男美女、参差錯落として乱立する飲み屋街、とろけるように甘い香りのただよう洋菓子・和菓子の店、特売セールでかごに積まれる衣服、ショーウィンドウに飾られる華やかなバック……街に出かければ、至るところで刺激的・煽情的な情報に触れることができます。
こういう情報に触れることによって、沈んだ気分は昂り、荒らぶった気分は穏やかに気分は一新されます。こういう気分の移り目・変わり目となった出来事というのは私たちの望みにつながりやすいと思われます。
何事も挑戦、今すぐ行動を
退屈な毎日を変えるには、現実的に手のとどく望みが必要です。しかし問題は、望みをもたないものが、いかにして望みを沸き起こすのか。その解決策は、小説を読むこと、映画を視聴すること、街に出かけることで、さまざまに刺激的な情報を集めることです。
いつまでも同様の生活を送っていては、目や耳に触れる情報は変わらないため、生活は一定して単調そのものです。生活が単調であるのは悦ばしいのですが、方向喪失状態の望みのない単調な生活は悲劇的とも言えます。
いざ行動を。小説を読むか、映画を視聴するか、街に出かけるか、なんでもよろしい、行動することが、単調な生活のリズムに変化をもたらすのです!
令和二年 十二月
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