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祖述とは何か?祖述という文学(芸術)の条件について

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祖述とは何か?

 

子曰く、学びて思わざれば、則ちくらし。思いて学ばざれば、則ちあやうし。

論語』為政

 

そもそも「とは何か?」という問いは発見と創作という二つのプロセスに分けることができる。祖述とは「先人の言を踏まえ発言すること。引用すること」というのは発見で、これは世間一般に伝わる祖述の概念であり、ことばのいい換えに過ぎない。ここで「祖述とは何か?」というのは創作(発明)で、すなわち文学(芸術)の世界において何故にわれわれは祖述するのかという問いである。祖術とは何かその発見のプロセスだけを求めるものは辞書にあたっていただきたい。ここに求めるプロセスは創作であり、創作を求む知性であり、人の道である。

 

何故に祖述をするのか?

 

作者は祖述によって読者との共通点を得、洗練された読者を惹起する、そのために祖術をするのではない。また、読者への道徳的配慮から祖術をするのでもない。なぜなら文学(芸術)においては根本的に言って、読者を想定する必要はないからである。

「何故に祖述をするのか」という問いは、「何故に文学に生きるのか」という問いと近似している。そして何故に文学に生きるのかといえば文学に生きるよりほかないからである。

文学における成功

 

ところでわれわれは、みな成功を志向して生きる。なぜなら知性の本質はなんらかの目的に従って運動することであり、この運動不足によって人びとは人間以外の動物にみることのない病状、すなわち無気力(気力の散逸)に陥るからである。だから知的に生きる人間はなんらかの目的に従うことを前提している。そして目的に達せんと欲することが生きることであるから、われわれはみな成功を志向して生きる、といえるのである。

さて、ここで、文学に生きるよりほかないわれわれの、文学における成功を考えてみたい。文学における成功とは何か?それは作者が表現せんとしたところの像を、読者の心に結びえたときにはじめて成就されることであろうか?あるいはそれは洗練された読者層に作者の思想またはセンチメンタルな遊戯を認めてもらい、文学の大家たるにふさわしい同意を多数得ることであろうか?否、そもそも他人から得た同意をもって成功だと誇るのは素晴らしい迷妄であろう。なぜならひとたび打ち負かした他人から同意を求め得ることは自己矛盾にほかならないからである。いかなる分野の闘争からも真なる勝者は生まれることはない。したがって文学において、文学で成功するには読者という他者はもとより必要ではない。文学における成功は存在しないと言いたいのではなく、ただ文学における成功を措定して、そうして文学に生きぬくことだけが成功だと言いたいのである。

ここに明らかにされたのは、文学における成功とは他者の同意(読者の想定)を必要とするものではなく、したがって自分ではなく己が、己が世界に生きぬくことなのである。生きるのではなく、耐えるように生きぬくのである。

祖述の目的

 

再び、何故にわれわれは祖述するのか。自他の関係が裁ち切れて、自他を分かつ性質が滅却されたのち、己となる、己の精神はこの濁世人界より却いて天然自然の世界にあることになる。そこで見えるのは天然自然の世界精神(宇宙精神)であり、これに加えて、その世界精神の行く道、この濁世人界における理念・方針・進路というべきものである。この世界精神の行く道というのが、何故にわれわれは祖述するのか、祖述の目的である。

これは、人間個人の本体(ミクロコスモス)と宇宙の本体(マクロコスモス)とを同一視し、宇宙と一体になり、ものと遊ぶ無為の境地に至らんとする、道家思想に似ている。

祖述の目的は、それぞれ人間個人がみずからの思想(イデオロギー)に従い達せんと欲せられる、多様な、無数にきらめく星のようにあるものだと言いたいのではない。またそれは、無数の星々の集合体、天の川銀河を、皓々と輝かせる全体志向のようなものと言いたいのでもない。われわれは成功を志向する、そしてその成功が他者を待つことなく己がために生きぬくことであるならば、すでに天然自然の世界精神と一体の己の精神は己の精神の豊穣を願いながら道に行くのではないかと言いたいのである。

ある人間の意識表象のその後に生ずる、古き先人の、遥かに高邁で偉大な精神は、すでに己の精神のその土壌に芽吹く一葦である。己の精神はその一葦を生生と茂らせることによって、豊穣に、逞しく、生きぬく力をたくわえる、則ちそれが祖述の目的ではないだろうか。

 

おわりに

 

思うに、何故にわれわれは祖述するのか(祖述の目的)はそれが天然自然の世界精神の行く道というのはあまりにも現実離れしているようで抽象の度がすぎるかもしれない。あるいは理想の度が遥かに高いあまり空論に堕するかもしれない。それでも現実的に、私はこれを欲しながら祖述するので、読者もまたそのように欲してもらいたいのである。

ところで成功には「運根鈍」という諺がある。そしてこれは正鵠を射ている。この諺の出典は不明で、民衆の俚諺なのか、しかし創案者は成功したであろう。

 

令和三年 九月

令和四年 二月 改


 

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