「Google(Chrome)」はパソコンやスマートフォンに内在する検索アプリの代表として、今日、大多数の利用者を虜にしています。利用者が「検索ボックス」という名の空欄に何らかの文字を入力して検索すると、次には、さまざまなサイトが検索結果として一覧表示されます。上位に表示されるサイトに訪問すると、求めている情報がいともたやすく得られてしまい、およそ知的ともよべない私たちの欲求を満たしてくれます。
いともたやすく求める情報を得られるため、少し考えて「わかる」ことでも検索に頼ってしまう。ほしいままに情報を得たあげくには、思考力は鈍化され、表面的な情報しかわからない人々が量産されてしまう。Google検索は、正直な利用者をまちがいなく白痴であらせます。
情報を得るための昔と今との方法
ところで情報を得るための従来の方法としては
- 疑問に思う
- 思考する
- 調べる
- 情報を得る
という流れが代表的でした。インターネットの登場が「近代(昔)」と「現代(今)」とを隔てていることを思えば、私たち二十代、三十代あるいは十代の人たちを除いては、疑問のつぎには思考がすぐに続く習慣をもっているでしょう。
しかし現在の情報を得るための方法は
- 疑問に思う
- 調べる(検索)
- 情報を得る
という流れに変わっています。
いうまでもなく現在の方法では「思考する」という順序が抜け落ちており、私たちの思考の習慣が破壊されているのです。(思考の忘却)
テクノロジーの流行が気になれば、今では検索ボックスに「テクノロジー 流行」と入力して検索することで、求める情報はすぐに得られます。これに反して昔は「テクノロジー 流行」の情報を得るには書店に走らなければならず、その間、頭のなかでは少なくともテクノロジーについて考えを巡らせていたことでしょう。
検索する一歩手前で「思考」を活発化する!
なんでもかんでも検索して情報を得るならば、私たちの思考力は鈍化して、得られた情報をすべて真なるものとして解しかねません。一般の生活世界からは霞かかって見える政治世界において偽情報(フェイクニュース)が蔓延している場合、その情報をそのまま真なるものとして前提においてしまえば、判断は、あっちこっちに流されて正当性がともなわなくなります。
情報を得る(検索する)一歩手前で立ち止まって考えれば、少し考えて「わかる」ことも検索するに及ばなくなり、思考力は育まれ、ついには、現代社会の無理難題(アポリア)を解決することにつながるのであります。
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