「列挙」とは何かを調べると、『広辞苑』には「ならべあげること。数え立てること。〈人名を―する〉」とある。そして、列挙法とは何かを説明したり描写したりするさいに語句をならべあげて、その何かの一面一面を明らかにして全体を判然とさせるレトリック(修辞技法)のひとつである。文章に列挙法を用いると、文章の調子をリズミカルに整えられ、よりこころよく読み手に文章を読んでもらえるはずである。また、文章の説得力をあげられるはずである。本文では列挙法の効果、用法を古典的名作をもとにして詳しく記したい。
列挙法の効果とは?
以下、黄色のマーカーで引いた下線が列挙法となっている。ドイツの作家、トーマス・マン著『トーニオクレーガー』(植田敏郎訳)を引用させていただいた。
その力はトーニオの目を鋭くし、人の胸をふくれあがらせる大げさな言葉の正体をあばかせ、人々の魂、トーニオ自身の魂を解き明かし、透視力を授け、世界の内側や、また言葉や行ないの裏にかくれた究極のものを教えてくれた。が、トーニオがそこに見たものは、滑稽と悲惨……滑稽と悲惨であった。
補足を加えると、「その力」とは『トーニオ・クレーガー』の主人公トーニオがこの世でもっとも気高いと思った力であり、それに仕えることが自分の与えられた天職と感じた力であり、尊厳と名誉を約束した力(精神と言葉と)である。
この列挙法に変哲をみることはないが、この文章から、鋭くなった目で世界の隠されたものを教えてくれるようになったという漸層的な流れを読むことができる。思うに、列挙法には、文章の調子をリズミカルに整えるほか、読み手の視点をだんだんに高所に引き上げて苦労の末に美しい景色を眺めてもらうような効果がある。レトリックを細かく分類すると、上の用法は列挙法というよりは漸層法に分類されるのだが。
このほかにも、
……けれども健康が衰えるにつれて、トーニオの芸術精神は鋭くなり、好き嫌いがはげしくなり、えりぬきになり、たぐいまれになり、せんさいなものになり、月なみなものに対してかっとしやすくなり、調子や趣味の問題ではすごく敏感になっていった。
本書の解説にも書いてあるが、『トーニオクレーガー』は作家(あるいはアーティスト)を目指すひとの入門書であり、古典的名作である。トーマスマンに言わせれば、トーニオの精神的境地を経ずしては、もろもろの作は芸術愛好家の生みし駄作であろう。
列挙法の用法
さて、列挙法を用いるときに注意したいのが、その語順(並列方法)や語の抽象度、その統一的規則を設けることである。たとえば塩を説明するときに、塩とは、〈一〉しょっぱい(味覚)、〈二〉白色の(視覚)、〈三〉正六面体(形態)のものであるという語順で列挙すると、一般に重要な語であるほど先に並べるわけだから、この発話主体にとっては塩のうち味覚がもっとも重要な要素だと考えられているわけである。これが化学者だと塩の形態を先に記すことになるかもしれないし、より詳しく、塩とは塩化ナトリウムを主成分とする……というように、よりミクロに(具体的に)記すことになるかもしれない。大切なことは、塩一般の説明をするときには一般に重要と思われているような語順と抽象度(客観描写)によって列挙法を用いるべきだということである。
令和三年 十二月
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