難しいとは何であろうか、「難しい」と書いて何と訓むのであろうか、「むずかしい」なのか「むつかしい」なのか。何かを理解するには一般に辞書を引くのが簡便である。日常用語を辞書で引くには及ばないだろうけれども、自分のことばの意味を一般の用法に照らしてみるのは、自分の仕事の手順をふりかえるようなもので、必ずしも無用ではなく、むしろ有用でさえある。
難問は、はじめは簡単な物事でも、ひとつひとつを明らかにすると最後には理解せられるのである。
難しいの意味(語釈)と訓義
さて、辞書(広辞苑)で「難しい」の項目をみると、その意味に「簡単には解決できない」とある。ほかには「理解し難い」「成就し難い」「困難である」「わずらわしい」などとある。言うまでもなく、「難しい」とはだから簡単でなく、発話主体にとって「難しい」と形容される主語(問題)が簡単には解決できないことを示すのである。
しかし問題を問題としない人たちのつもりでは、問題はもはや問題でなく、それは日常生活の延長線上にあること、通過点・厄介事であり、すなわち難易度一般の意味の難しい(difficult)ではない。
より詳しく「難しい」の「難」の字の語源をみると、〈難は「漢の右側+隹」。「漢の右側」は金文の字形によると鏑矢の形と火に従っており、火矢の形かとみられ、火矢を以て「隹(鳥)」をとる法を示す字かと思われる。儺だ(鬼やらい)の儀礼と関係があり、鳥占に関して、呪的な目的で行われたものであろう。それでなやむ意から、困難の意となった。白川静『字通』〉
とある。
「難しい」の訓み方の欄をみると、「むづか・し」とあり、そしてかっこで「(ムツカシイとも)」と囲われている。かっこ内(ムツカシイ)は常用漢字表(新聞や教科書などで採用される公的表記)で採用されない訓み方であるが、かつてそう訓まれていた、または手紙やメールなど私的文書や学芸の分野においては採用されうる訓み方である。白川静の『字通』をみると、「難しい」に「むずかしい」という訓み方はなく、難しいはもと「むつかしい」と訓むようである。
「むずかしい」はもと「むつかしい」
そこで「むつかしい」の訓義を過去に遡り調べると、それは「むつかし(憤し)」という不機嫌な状態をあらわし、平安期では「むつかし」は厭わしい意を含む語であるとされる。
ここで「むずかしい」と「むつかしい」と両者の用法を整理すると、「むずかしい」はあたりまえのようであるが問題を問題としてその難易度が自分にとって高いと思われるときに用いる。また「むつかしい」は、あるいは問題を問題としないで、日常生活の延長線上にあること、通過点・厄介事について不機嫌な感情が起こるときに用いるのである。本を読むと、教養人とよばれる人は文脈によって「むつかしい」を用いている。かれらにとっては問題はもはや問題でなく、その難易度は考えられていないように思われる。
漢字を覚えるのは簡単でなく、だから昭和に「当用漢字表」、平成に「常用漢字表」という、一般に国民に必要最低限と認められる漢字を用いる政策が公表された。しかしことばの意味の違い(意味の分節化に)相関して表現は豊かになるのであるから、ことばの制限はあるいは表現の自由を認めないことにつながると思われる。
令和三年 十月
関連するもの:
コメント