1749年、スコットランドで発行後まもなく発禁処分の対象となる本書『ファニー・ヒル』(著者ジョン・クレランド)は、日のあたらない秘密出版により裏社会では長らく読まれてきた。
あからさまな、しかし直接に卑猥な表現が除かれている性的描写が、どうして発禁処分となるのかは表現の自由がみとめられない時代的な制約であるのか、それとも政治的な意図であるのか、その理由は不明瞭である。
日本を含めて幾度となく本書の翻訳版は発行されてきたが、たちまち発禁処分となる歴史がそれぞれの国に刻まれている。
悲劇的であり喜劇的である女性の性のよろこびが美しい田舎娘ファニーの処女喪失、レズビアン、乱交、マゾヒズム、サディズム、ボーイハント、浮気、そして恋を通じて上品奔放に描かれる幻のポルノ小説。
ジョン・クレランド|『ファニー・ヒル』の要約
当時十五歳のファニー・ヒル(本名フランシス・ヒル)は、ロンドンの郊外に住まう美しい田舎娘であった。都会、ロンドンの生活に憧れる素朴で夢みがちな少女。
その素朴さ、夢、美しさを利用する、ロンドンで売春を生業とする娼婦らがファニーをグループに引き入れる。
都会生活に憧れるあまり売春に身をさしだしたファニーは、性体験には恐れるものの次第に性のよろこびを覚えてゆき、素朴に洗練されてゆく。
ファニーの初体験(異性交渉)は恋人であるシャルルをあじわい、売春とはことなる愛情にみちた性のよろこびを実感する、のではあるが、シャルルの父に娼婦との交際が発覚されて、シャルルは流刑処分をくらい、二人の愛は引き裂かれる。
売春で生計を立てるファニーにじゅうぶんな貯金が出来たころ、都会ロンドンを離れて、郊外の田舎に住み移り、のんびり生活するところに、かつての恋人シャルルと再会を果たす。
ジョン・クレランド|『ファニー・ヒル』の感想
イタリア文芸復興期(15世紀)に描かれた『デガメロン』とならぶ代表的ポルノ小説に『ラジオナメンティ』がある。『ラジオナメンティ』はポルノ小説の元祖とも称されており、その性的描写の放埒と淫乱さは男性目線で描かれていることを物語る。
本作『ファニー・ヒル(1794)』と『ラジオナメンティ(1478)』とを性的描写の観点から比べると、両者とも男性によって著された小説ではあるが、明らかに前者『ファニーヒル』の描写は繊細であり女性視点から描かれており、後者『ラジオナメンティ』とは対照的である。
このことから著者のジョン・クレランドが同性愛者であることが推測されている。
The fact that the passionate descriptions of copulatory acts in Fanny Hill are written by a man from the point of view of a woman, and the fact that Fanny is obsessed by phallic size, have led some critics to suggest it is a homoerotic work.
『ファニー・ヒル』における性行為の多情多感な描写が女性の観点から男性によって向けられているという事実と、ファニーが男根の大きさに頭を抱えているという事実とが、本作が同性愛者により描かれたものとする批評家らの推測を導いた。
ジョン・クレランドが同性愛者であることを示唆する文面である。『ラジオナメンティ』の過激な性的描写とはことなり、繊細な女性心理をもとに描かれる本作は、よろこんで女性の読者に読まれるのではないかと思う。
ファニー・ヒルの発禁の理由が不明瞭
本書が長らく発禁処分をくらっている理由は何か。日本では昭和二年に佐々木孝丸氏によって、昭和四十四年に吉田健一氏によって訳されたが発禁となったそうである。
完訳版ではないがグーテンベルク21社出版の『ファニー・ヒル』を読んでも、その理由には疑問符が付される。
After the book was published, Cleland was prosecuted for “corrupting the king’s subjects”.
本書が出版されたのち、クレランド(著者)は「王の主題を汚した」として起訴された。
Fanny Hill: why would anyone ban the racy novel about ‘a woman of pleasure’?
「王の主題」が何を示しているのかは不明だが、単なる性的描写が長きにわたり発禁処分の対象となるのは不自然である。何かしらのあやしい理由があるにちがいない。
ちなみに『ファニー・ヒル』の完訳版は富士見ロマン文庫から入手できる。
教育としての『ファニー・ヒル』
『ファニー・ヒル』が意義を有するのは、まだ一般世間に染められていない無垢な少女(あるいは少年)の無知というのがどれほど恐ろしいのかを現実的に物語るからであろう。
田舎の女性が上京し、生活の不自由を補うために売春をはじめる、うまい話には思慮を待たずに合意する、夢みがちな娘(ファニー)の夢想を利用する破廉恥人(マダム)、等々いかにもことのありげな筋道である。
令和二年 六月
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