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トーマス・マン|『トーニオ・クレーガー』の要約と感想

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『トーニオ・クレーガー』(1903)は、ドイツのノーベル賞作家、トーマス・マン(1875-1955)による自伝的小説である。

 

「芸術家」と「市民生活」との相克を主題として、芸術家がふつうの市民生活を希う心的態度がトーマス・マン(トーニオ)により語られる。

 

トーマス・マン|『トーニオ・クレーガー』の要約

 

14歳には不幸な認識を獲得していた豪商クレーガー領家の息子、トーニオは、友人であるハンス・ハンゼンの些細なしぐさの裏にかくされた究極のものを見透かし苦悩する。

 

16歳のトーニオは金髪のインゲに恋をするが、ここでも不幸な認識が恋にかくれた究極のものを透かし、恋をも滑稽と悲惨なものに変える。

 

あらゆることばと行為との裏に隠された究極のものを見透かすトーニオは、ふつうな「市民生活」を希うのだが、芸術家に固有な不幸な認識によって邪魔をされる。その認識について、その認識がもたらす苦悩について、苦悩を抱きながら詩をつくることについて、冒頭から末尾までトーニオ・クレーガーは語る。

 

物語の大筋は以下のとおり

 

  1. 14歳のトーニオ ハンスにねたましいあこがれを抱く
  2. 16歳のトーニオ 金髪のインゲに恋をする
  3. クレーガー家がほろび豪邸は売却されて、トーニオは故郷を離れてミュンヘンで生活する
  4. 不幸な認識について画家のリザヴェータへ語る
  5. リザヴェータとの閑話
  6. 故郷へ帰郷 かつてクレーガー家が所有していた豪邸へ
  7. デンマークの船旅 ゼーフラント島(Sjælland)からヘルシンゲル(Helsingør)へ
  8. アールスガールト(Ålsgårde)のホテルでハンスとインゲを見る
  9. リザヴェータへ市民愛についての手紙を綴る

 

トーマス・マン|『トーニオ・クレーガー』の感想

 

芸術家というのは不幸な認識を獲得しているものであり、かかる認識により世界を説明し、把握して、一個の作品を創造する、ふつうの市民生活に融け込むには極めて苦痛で、極めて危険な、気狂いのような一人の市民である、といえる。

 

世間で芸術家とよばれている人たちは、生まれながらにして認識能力に長けており、ふつうの一般市民が認識する世界とはことなる。それゆえ芸術家たちは、ことばと行為との裏に隠れている究極のものを見透かし、まだ払拭されない観念によって、苦悩に苛まれる。

 

苦悩とは恐怖ゆえの弱さか?

 

物語の主人公トーニオ・クレーガーは詩をつくる。

詩をつくるためには、トーニオは苦悩に苦悩と苦悩とを幾重にも積み重ねなければならなかった。あるいは敢えて苦悩の渦に飛び込まなければならなかった。

 

運がよかったのか不幸な認識を獲得したトーニオは、その認識の力によって能力を奔放不羈に開花させて爆発させる選択もあった。ちょうど今日のビジネスで成功者とよばれる人たちのように。

 

しかし、トーニオは敢えてそれを選択しなかった。いったいどうしてだろうか。それは認識の力を前にしてトーニオが恐れ慄いたからである、というのは間違った解答ではないにせよナンセンスであろう。

 

苦悩の渦に飛び込むこと(あるいは留まること)とても罪ならば、苦悩する必要はあるだろうか?

 

たしかに罪滅ぼしの選択とても罪ではあるが、それを敢えて選択し、あるいは苦悩に留まって、みずから苦悩にこらえる経験を積むことは、やはり芸術家としての資質を有するからであろう。かれらは雁字搦めに拘束されている汚れた善人なのである。

それともこれは透徹した不幸の認識者であるトーマス・マンの敢えての選択であったのか。“不幸の認識者” と名付けられた仮面をかぶり、人生劇上で詩人を演じる役者であったのか。

 

ともあれ私の主張はこういうことである。人間が善人となるのは苦悩に苛まれ、耐えて、こらえて、我を忘れる状態のときのみであり、かかるときに創られたものをもってしてはじめて、市民はよろこんで芸術家を迎合するのである。

 

芸術家がふつうの市民生活を送る危険

 

当然のことながら、殺人者とも容易になり得る芸術家が市民生活に融け込むのは極めて危険である。

 

苦悩に我を忘るれば、苦悩によって抑圧された芸術家の自由意志が解放されて、その終着点はどこであるのか皆目見当がつかない。

 

『トーニオ・クレーガー』は創造に着手する万人への創造論である

 

音声、言語、造形、それら優れた創造を成し遂げるための心的態度が『トーニオ・クレーガー』にて述べられる。

たとえば、作家にとって作品にとりかかる心的態度は「感傷癖」を除いて「冷笑癖」を身につける必要があるという以下の三つの語り。

 

 

あなたが語らなければならないことがあなたにとって重要すぎたり、そのためにあなたの心臓が脈打ちすぎたりしたら、必ずあなたは完全に失敗します。

悲壮になったり、めそめそしたりするだけで、あなたの手がけたものは何か重苦しいもの、無器用でくそまじめなもの、まとまりのないもの、イロニーのないもの、味もそっけもないもの、退屈なもの、月なみなものになってしまいます。

そして世間の人たちは冷ややかな態度しか示さないし、あなた自身、幻滅と悲しみしか味わわないのが落ちでしょう。

 

 

 

温かい心からの感情なんて、いつでも月なみで、どうにもならないものです。芸術的なのはただ、われわれの頽廃した芸人らしい神経組織の興奮や、冷ややかな恍惚だけです。

 

 

 

洗練され、常軌をはずれた、悪魔的なものに最後にもっとも深く熱中している人、むじゃきな、単純な、生き生きとしたものを、いささかの友情、献身、親密、人間的な幸福に……つまり普通であるということの大きな喜びに対する、ひそかな、身を焼きつくす憧れを知らない人なんか、まだまだ芸術家とはいえませんよ、……

 

 

心を侮蔑して、普通への燃えるような希求をもつ心的態度とは苦悩の極地であろう。そこでは苦悩は苦悩ではなく、全くの無感覚であり、いわばさとりの境地に達したといえる。

 

不幸な認識について

 

いったい不幸な認識を獲得しているものが、世界にはどれほどいることだろう。トーマス・マンの時代と比すれば、明らかに増えているにはちがいない。といっても不幸な認識を獲得しているものは、みずからそれを公言することはなく、むしろそれを徹底的に隠そうとする。

 

マンはニーチェの影響を受けている。その哲学者によれば不幸な認識者には位階があるらしい。偶然にも不幸な認識に触れたものは、位階は低く、認識は鈍く、宗教的な人間ではないために、芸術家的生活と市民的生活との両生活を去来できるのかもしれない。ある意味では天性の二重思考(想起・忘却プロセス)の所有者であるといえる。

 

令和二年 六月

 

 

 

 

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