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一意専心とは?一流が身につける優れた創造の武器について

この記事は約5分で読めます。

 

このごろ気に入った言葉をみつけた。「一意専心」である。

一意の「意」とは、ある欲望に対する心的態度であり、意欲を示す。

 

普段、私たちの意欲は四方八方に向いており、すべての方向に宿る力(ベクトル)を総括して、ようやく一つの物事に専心している。

 

「一意専心」という心的態度は、一流のスポーツ選手、一流の芸術家、およそ一流と称される人であれば誰もが有している。みずからの意欲をひとつに束ねて発揮することは、それほどまでに底知れぬ死力のごとき類の力を生みだすのである。

 

ものが欲しい理由は一つではない

 

たとえば買い物は、みずからの多方面に分散された欲望を総括して、迷いあぐねた末に、ようやくモノを買うか否かの判断を下している。

 

あるモノが欲しい理由は、概念的に抽象化すれば、デザインの好みによる「美欲」と、個性の差別化や見栄による「自己顕示欲」と、モノを所有することで得られる潜在的な「性欲」あるいは「共有感情」とを充たすためである。あるモノが私にとって快適であることは言わずもがな。

 

フェラーリを購入する人たちの理由(欲動)

 

あるものは純粋な「美欲」を充たし陶酔するためにフェラーリを購入するのであり、あるものは個性の差別化や見栄による「自己顕示欲」を充たすためにフェラーリを購入し、あるものはフェラーリを所有することで得られる潜在的な「性欲」や「優越感」を充たすためにフェラーリから購買意欲が湧いてくるのである。

 

さて、「一意」という言葉は、ある対象に対してかかる意欲が純粋である場合に限り使用許可が下りる。つまり、この場合では「美欲」を満たす場合に限り「一意」の使用許可が下りるのである。

 

創造の理由とは創造である。創造の目的とは創造である。

 

創造性の求められる仕事では「一意専心」の状態においてのみ一流の仕事ができる。

 

翻って「二意専心」や「三意専心」により創造に着手すると、どれも創造物は二流や三流の代物が出来上がる。

 

すなわち創造の理由というのは単純に創造でなければならない。さもなければ創造は一流から二流や三流あるいは四流・・・の支流に流れてしまうのである。

 

創造に着手する人ならば、創造の目的が創造でなければならないことを感得している。なぜ若者はギターをはじめるのか?個性化のためか。見栄のためか。創造のためか。若者のギターの失敗例は、どれもこれも意欲が「一意」ではなく多方面に分散されているからなのである。

 

「一意」の測定方法

 

「一意」の測定方法は、ある対象に別の対象を当て比べることである。

 

たとえば、世間から好評を博している「ポルシェ」でも「フェラーリ」でもどの車をも購入できる経済力をもつとする。

 

メディアでは連日「ポルシェ」が取り沙汰されている。

 

「ポルシェ」こそが車の頂点である。「ポルシェ」を所有していれば「車通(自己顕示欲)」であると称賛されて、「好感度」は抜群に高まる(性欲の潜在的充足)。しかし私はフェラーリが好きだが……と迷いに迷った挙句の果てに「ポルシェ」を購入するならば、それは「一意」ではない。そもそも「一意」の状態において「迷う」ことはない。

 

創造における「一意専心」の測定方法

 

大衆からの評判の良い作品か、全く評判を気にしておらず寧ろ滑稽とさえ思う作品か、どちらか一つをつくるとする。

 

前者の作品をつくれば「金」も「名声」も「権力」も総じて嘗められる。ファンは沢山支えてくれるし「安心」でもある。

 

後者の作品は、たとえ上記のどのような欲望が充たされずとも構わずに、たった一つの欲望さえ満たせれば大満足である。すなわち余す所なくみずからの思想(想念)を顕現させたいという一心でつくられる作品である。

 

後者の作品の心的態度こそが「一意専心」であり、「一意専心」の境地に達したものだけが一級品の創造を成し遂げられるのである。

 

身近な例から「一意専心」の力強さを感じる

 

私はこのような経験がある。音楽を聴きながら勉強をしているうちに音楽が意識から消えて一心不乱に勉強に没頭していた、という経験。

 

この際、勉強に対する集中は、想像を絶しているほど絶大であった。これはまさしく「一意専心」の境地に達していたのであり、かかる状態からは死力のごとき力が生まれるのである。

 

これはおそらく脳科学的見地からすれば以下のような説明が施される。

ある運動へ身を投じると、脳は運動に反応する。前意識の運動にも脳は反応する。それゆえ創造が、多方面の目的(多方面の運動)に身を投じると脳の活動領域は浸蝕せられて、対象へ向けられる意欲が散逸し、しられざる脳の力を発揮できずに終わり、たとえ秀作をつくれる力があれど、それが駄作をうむ、という運びである。

 

二意専心にみえる一意専心について

 

一見して「一意」ではなく「二意」である心的態度でも「一意専心」と呼ばれることもある。

 

それは「一意」の “研磨材” のごとき類のものであり、簡潔に言えば「一意」に尽くすための「二意」という心的態度である。

 

見事な一太刀を振るうには、日ごろの微々たる鍛錬が必要である。ものを見る目を養うこと、邪念をはらうこと、刀を研ぐこと等々。

創造でいうならば、集中可能な環境づくり、睡眠や栄養をとること等々。

 

だから「一意専心」の状態にある人は(一流人は)、一見して本職(一意)とは無関係なことにも詳しい。

 

それは部屋を整理整頓する癖のある小説家が部屋の隅に落ちている些細なチリにも神経質に気を尖らせて、それを掃除しなければ落ち着かず仕事に取りかかれないのと似ている。

 

それは気狂いのようでもあるが、そのような心的状態でなければ、優れた創造は不可能なのであろう。

 

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