感謝の言葉「ありがとう」に対応するつぎの言葉「どういたしまして」の意味とは何か、その意味を解するには、「どういたしまして」の意味に相当する外国語の「ドウイタシマシテ」の意味を感じること、翻訳して吟味すること、それが言葉の真の意味を解する手がかりでもある。
さて早速、「どういたしまして」を英語に翻訳すると「You’re welcome」である。また中国語に翻訳すると「不客気」である。「Thank you」といわれれば「You’re welcome」といい、「謝謝」といわれれば「不客気」という。
こうして翻訳するとわかるのだが、二つの翻訳では日本語としての「どういたしまして」の意味が変わって感じられる。というのは、英語の「You’re welcome」にはよろこびの感情が含まれており、それは主人が客人を肯定的にもてなす意味として感じられる、これに対して、中国語の「不客気」には少なからず怒りの感情が、否定的な意味が含まれているからである。
そもそも〈客気〉とは、主人が客人に対して抱く闘争の感情(血気)であり、〈不〉による打ち消しによって、その客人に対する〈客気〉を自己のうちに解消している。
かつて、国文学者が「不客気」に「どういたしまして」の訳語をあてたのは、中国語および日本語の「どういたしまして」が、闘争の感情を自己のうちに解消する、辛抱や堪忍という意味を含んでいたからであろう。
だから日本人が笑みを浮かべ「どういたしまして!」と豪放に発言するのは間違いである。つまり英語の「You’re welcome」という意味をもって肯定的によろこんで発言するのではない。中国語の「不客気」と、客人の非礼に対して辛抱する主人がいうかのごとく、否定的に「どういたしまして」と発言するのも多分間違っている。
日本の「どういたしまして」の意味の底にあるのは「よろこび」の感情ではなく、客人に対して「ゆるしを与える」主人の優位を示す態度でもない。あるのは、喜怒の感情も主客の関係をも離れた、己の理想とする徳がこめられた意味だけである。
また、「ありがとう」に対する「どういたしまして」は、単なる形式に留まってはならない。つまり形式の成立によって関係者に安心感をもたらすというふうに合理的に解するのみではならない。内実が失われ形骸化した「どういたしまして」は、味も素気もなく、安心感をもたらすどころか、両者を滅入らせてしまう。
主人が客人に対して「難有ること」、「まれであること」、つまり「難儀」をほどこして、客人が「ありがとう」といい、つぎに主人の発するであろう「どういたしまして」は、難儀が感謝によって承認されたあとの主人の感情のよろこびを表すのでもなければ、それをいい表して吉とするのでもない、私の所思といたしましては、「どういたしまして」には己の理想とする徳をこめること、その意味を含んでいるべきなのである。
令和二年 十月
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