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愚痴の研究|愚痴の心理や愚痴の対処法について

この記事は約8分で読めます。

 

これまでにこぼした愚痴を計算すると、指折り数え切れないほどの友人や知人を精神病に陥らせてしまうほどだろうか。愚痴というのは、愚かな人の口を棲家として、寄生し、繁殖して、なかなか消えてはくれない。

愚痴をこぼすことは、中毒性があり、気持ちいいかもしれないが、その副作用として、人々の人格を貶めてしまう。

私は、愚痴をこぼすことはないが、世間にはびこる愚痴を撲滅したいと思っている。それは人々の耳に入りこみ、人々の口に寄生して、人々の気力をぱくぱくと蝕むからである。果ては、愚痴という快楽の中毒者に、すなわち廃人に人々を貶めてしまう。

本記事『愚痴の研究』で明らかにされるのは「愚痴をこぼす人の心理」や「愚痴が成長を妨げる原因」や「愚痴の対処法」である。本記事が人々の〈良薬〉として作用することを祈っている。

 

愚痴をこぼす人の心理とは何か?

愚痴の心理・愚痴の対処法とは?

 

「気に入らない他人ひとけなすために、私を優位な立場におくこと」というのが愚痴をこぼす人の心理である。

「気に入らない他人」とは、何らかの特徴をもっているために、わたしに劣等感を抱かせる人である。その特徴というのは「容姿(端麗)」とか「頭脳(明晰)」とか「運動神経(抜群)」とか「名声(赫赫)」とかである。美人の女が、男にもてはやされると気に入らないだろう。それはわたしが美人ではなく、話術に優れておらず、男からの人気を得られないからである。

しかし美人が美人であり話術に優れていることは変わらない、優れた立場である。それを貶すためには、わたしは別のある優位な立場に立たなければならない。

 

「気に入らない他人」を恐れている

 

優れたもの(気に入らない他人)を認められないのは愚痴の中毒者の改善事項である。優れたものを貶すためには、面と向かって罵倒すればいいのだが、それができないのは優れたものを恐れているからである。

よくある例としては、夫の母すなわち姑が、夫の妻についての愚痴をこぼすのは、〈母の愛するもの(息子)を盗んだ女に面と向かって罵倒したら息子から嫌われるかもしれない〉、という恐れが潜んでいる。

 

優位な立場にいると安心する

 

「やろうと思えばやれる」と、私たちは潜在的に何かが可能であることに安心する。成功哲学の本を読んで、原理原則を手に入れれば、私も成功できると思えるように。あるいは、資格を取得することで他人よりも高い価値を身につけ、優越感を得るように。

つまり権力は、私たちを安心させるのである。優れたものを貶めるためには、別の力ある優位な立場にたたねばならない。そうでなければ、その愚痴は子どもの戯言であり、たとえ手前勝手な空想のなかで罵倒しても、安心することはできない。

つまりは、愚痴をこぼすことで同志から共感的なものを得て、味方を増やし、優れたもの(気に入らない他人)を凌ぐ力を備え、潜在的に優越した立場に立つことは気持ちいいのである。それが愚痴をこぼす人の心理である。

 

愚痴が成長を妨げる原因とは?

 

愚痴をこぼすのは「気に入らない他人」を恐れているからである。恐れから逃げる、その行為は恥であり、不快である。それを手間をかけずに快に変えるために愚痴が生まれる。愚痴により恐れを消すことで、わたしは安心を(快を)獲得する。つまるところ愚痴とは信仰のようなものだが、その実、どれほど愚痴をこぼしても現実の立場は変わらない。これが愚痴が人の成長を妨げる原因となっている。具体的な例はつぎのとおり。

 

気力は無益に費やされ、思考は停止している

 

こぼした愚痴を点検すると、その表現は露骨で刺刺とげとげしいことがほとんどである。太ったものはブタやカバであり、性格の悪い女はそのまま性悪女しょうわるおんなである。思考の痕跡は見つけられない。

愚痴をこぼすことに気力は費やされ、しかも思考は停止されているのならば、いったいどこに成長の糧は見出せるのであろうか。

いってみれば、愚痴とは、卑猥な言葉で盛り上がり、笑い転げていられる中高生の趣味である。

 

愚痴から皮肉へ

 

かかる趣味を洗練させるために、私たちは「愚痴」を卒業して「皮肉」へと進まなければならない。

皮肉(アイロニー)とは、「気に入らない他人」を直接的ではない〈遠まわし〉の表現で罵ることである。言葉をかえれば、皮肉とは、愚痴に思考の痕跡が見られる知的な趣味である。

太ったものはブタやカバではなく「幸せな人」であり、性格の悪い女は「猫」である。

 

手間のかからない快楽が、人格を貶める

 

私たちは快楽を求める生き物であるが、愚痴のように手間のかからない感情的な快楽を求めると「快楽の閾値いきち」がひどく低下してしまう。これは麻薬のような作用であろう。いっときの快楽を貪ぼるほど、より手間のかからない、より刺激的な快楽を求めてしまう。

「快楽の閾値」が低下すると、どのような対象であれ、それから感覚的な満足を得られれば、万事よしとする。その対象に内在する知的な要素を見つけることはない。だから、どんな毒のある料理でも味がよければかまわないのである。その果ては肥満か栄養失調か、あるいは暴君となるだろう。

「快楽の閾値」が高く設定されている人ならば、愚痴をこぼすことから快楽を得ることはない。自己成長が至上の快楽であるものにとって、この快楽を害する愚痴から、どうして快楽を得られるだろうか。

 


 

まとめると、愚痴が成長を妨げる原因とは、それが現実の立場を変えるものではなく、思考を停止させて気力を無益に費やすからであり、「快楽の閾値」が低下するために畜生道を歩むことになるからである。

 

愚痴にだれも共感していない

 

自己成長を妨げる愚痴だけれど、それが口火となり、内容に共感できるものと親密な関係を結べる、と思うかもしれない。ところが、それはとんでもない誤解なのである!

なるほど、愚痴による共感的なものは、ある連中の一体感を醸成するにはちがいない。愚痴により得られた気持ちよさは、その場に居合わせた人から得られたものと錯覚され、連中の結びつきを強固なものとする。それはさぞかしなかよしな連中となるだろう。しかし、一歩退いてその場を眺めれば、その連中は、お互いの醜さをほめそやしてはあざ笑い、肯定しているだけなのである。なぜなら愚痴とは、優れたものを貶して、みずからの所属する〈劣った立場〉を正当化することであるから。

 


 

愚痴の本質は、私の欠点を照らすことにあるが、それを発揮するには愚痴をこぼすのではなく、呑み込まなくてはならない。それは苦いものであろうが、愚痴を撲滅する良薬となるはずである。

 

愚痴の対処法とは?

 

愚痴は、自己成長を妨げるのみならず、表面からは覗かれない深層においては、友人や知人を醜いと罵っている。まともな人であるなら、それは避けたい。

といっても、いろいろな制約から身動きがとれず、愚痴を避けられない立場にあれば、どうすればいいのか。

 

一、愚痴の内容を批判する

 

愚痴をこぼす人との関係を今後もつづける場合、相手に面と向かって「愚痴をやめよ」と説教するのは難しい。この場合の対処法としては、愚痴の内容を批判して、愚痴をこぼす人に反省をうながすことである。

たとえば、愚痴の標的を男にもてはやされる女とすると、おそらく愚痴の内容は「八方美人」から派生して、おそらくは「自己中」とか「尻軽女」とか「人格破産者」とか、そういって盛り上がる。

そこで、批判を登場させる。さりげなく愚痴の内容を否定して、愚痴の標的である女の立場を肯定するーー「彼女らしいね」とか「彼女は男を尻に敷ける人だよね」とか云々いって、愚痴をこぼす人の気炎を吹き返すのである。

要するに、相手の「愚痴」をひろい「皮肉」へと転化させることが、ひとつの愚痴の対処法ということである。

 

二、精神的鍛錬として、愚痴に耐える

 

こぼれた愚痴をひろわなければならない空気が漂えば、私の意志の弱さを痛感し、苛まれ、その愚痴をひろう。そして共感するふりして愚痴をこぼすこと。

その愚痴は「たん」のようなものであり、身体の毒素を吐き出しているため、ふつうの愚痴よりは質はいい。

しかも我慢というのは、集中力や決断力や感情制御力をつかさどる前頭葉を鍛える方法として知られている。したがって愚痴を我慢することが、より高度な思考への踏板となるのである。

 

三、愚痴の標的に接触する

 

愚痴の標的(たとえば男にもてはやされる女)は、愚痴をこぼす人よりも何らかで優れており、恐るべき存在である。それゆえ、わたしが標的の女に接触すれば、もう女の愚痴をわたしにこぼすことはないだろう。

なぜならわたしに愚痴をこぼせば、標的の女に伝わるのではないかと恐れるからである。おまけに愚痴の標的というのは優れたものであるから、お近づきになれば美点を学ぶことができる。

 


 

それでも愚痴を避けられない人は、協調性の優れたあわれな善人である。そういう人は、嫌われる勇気をもって縁を切るしかない。

 

まとめ

 

愚痴により優れたものを貶めても、優れたものは変わらない。みずからの劣った立場を正当化するために、優れたものの美点を学ぶことはできない。自己成長はおろか、みずからの人格を貶めることにもつながる。

優れたものに対して劣等感と恐れを抱いており、それを克服するために愚痴が生まれる。愚痴をこぼせば、同志が集い、優れたものを凌ぐ力を備えられる。それゆえに潜在的に立場を逆転させ、劣等感は優越感に、恐れは安心に変えられる。

しかし、愚痴の内容は露骨で刺々しく、思考の痕跡は見られない。愚痴による共感も錯覚であり、その深層においては、友人や知人を醜いと貶して笑っている。

どうしても避けられない愚痴の対処法としては、「批判」と「我慢」と「接触」とがある。愚痴をほんとうに撲滅する意志があるのなら、面と向かって、愚痴をやめよと告げる、あるいは、愚痴をこぼす人と縁を切ることである。

 

令和二年 十一月

 

 

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