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世界文学

坂口安吾『桜の森の満開の下』の解説|桜の女について

坂口安吾(1906-1955)。新潟市の生まれ。近代文学・戦後文学を代表する無頼派の作家の一人。文体は戯作風。『風博士』で文壇に注目されるも、その後、低迷。戦中『日本文化私観』を書き、戦後『白痴』『堕落論』で一挙に世に出る。 ...

井波律子『酒池肉林』の感想

○酒池肉林、それは広大な庭園をもつて、酒で池を造り、干肉で林を飾り、また美女で庭をにぎわせて、その情景をゆつたりと眺ると云つた、権力者の贅沢な自慰である。 ○権力者のかうした贅沢三昧を非難するのは容易ひ。けれども、ふりかえつて現代...
アイデア

紳士とは何か|ディケンズ『大いなる遺産』を読んで

人間はいかにして紳士になるのだろうかと、大いなる遺産のゆくえはさておいて、大いなる遺産を生み出すのだろう人性に、私は引き込まれてしまった。そもそも紳士とは何かと云って、それは蜃気楼のような、虚ろな空想かもしれないのだが、しかし光輝な...

オルテガ|『大衆の反逆』の読書感想|オルテガの政治思想について

ルネサンス、宗教改革、そしてフランス革命のもたらした人間の自由と平等は、ヨーロッパ建国の精神的支柱となり、ヨーロッパの大衆がとまれぬほどの力を与えることになった。意見をもたぬ大衆が社会的勢力の中枢となり、もはや少数の哲人や為政者のみでは世論...
日本文学

真野さよ|『黄昏記』の読書感想|逃れられない「老い」と「介護」という問題

何事も虚むなしいものだと決めてかかって世界を眺むれば、どんなに新鮮な出来事でも忽たちまちに色褪せてしまう。ひとたび虚しさが意識されると、世界は演劇のように台本にしたがって進行するようで、いかなる悲劇的事件も、舞台進行に欠かせ...
日本文学

坂口安吾|『堕落論』の読書感想|現代日本が堕落する必要はあるのか?

必要から生まれた言葉は純粋で、代用としての言葉以上に何かを物語るものである。坂口安吾の文体は奇妙で道化のようであるが、それがたわいもない細工物に堕していないのはどうしても書かねばならぬことで、書く必要のあることだからである。 ...
アイデア

荘子の音楽観|思想と文体と音楽との類似性

「人の自然な生まれつきを失わせるものに音楽がある」。道家の荘子(紀元前369年頃 - 紀元前286年頃)によると、音楽は五つの音階が耳をかき乱してものを聞きとれないようにさせる、という。また同じく道家の老子によると、感覚的な欲望にと...
日本語

列挙法とは何か?列挙法の効果と用法について

「列挙」とは何かを調べると、『広辞苑』には「ならべあげること。数え立てること。〈人名を―する〉」とある。そして、列挙法とは何かを説明したり描写したりするさいに語句をならべあげて、その何かの一面一面を明らかにして全体を判然とさせるレト...
日本文学

小林秀雄|『モオツァルト・無常という事』の読書感想

小林秀雄のように音楽を語ることは、なかなかにできることではあるまい。美は人を沈黙させる力があると言われる。けれども、もし人がその人格の美をもって作品と対するならば、美の幻惑の魔術はもはや魔術ではなく、大自然の一切は同一となり、かくて...
日本文学

三島由紀夫|『太陽と鉄』要約と感想

思考を放棄することは、自然の中の自然に離された存在のような人間が、原始の自然に帰還して、天然自然と一体となることで得られる、あるいはバッカス祭の陶酔のような、忘我の快楽である。三島は『太陽と鉄』において、このうちの対極を、すなわちスポー...
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