文章を一語ごとに点検してみると、様々なる類義語の微妙な差異を見つけることができる。本稿のタイトルのごとく「そのため」と「そのために」というのも微妙な差異の一つである。このほかにも「そのとき」と「そのときに」と、「そのさい」と「そのさいに」という類型を見つけることができる。作家はみずからの韻文作法(文体)の規則にしたがい両語を使い分けているようである。ここでは、その使い分けにより生み出される文意の微妙な差異を、両語を比べて、述べ表したい。
「そのため」と「そのために」と
私は「そのため」という語を接続詞に分類するが、人によって文脈によって「そのため」を副詞または形容詞に分類することもあろう。
「そのために」で文意を強調する
さてここに志賀直哉の『暗夜行路』の文を引用した。
【一】実際今までは総てが暗闇に隠されていた。そのために、却って恐ろしい黴菌が繁殖した。総ては明るみへ持ち出される。そして日光にさらされる。黴菌は絶やされる。そして、初めて、自分には、自分らしい本統の新しい生活が始まるのだ。
※「為」をひらがな表記で「ため」とした
志賀直哉は「そのために」を副詞として用いている。ある語に〈に)を接続することで文意を強調することもできるが、表現はいくぶん主観的となるようである。しかし引用文の意図は報告ではなく表現であるであろうため、「そのために」を「そのため」で置き換えて文意を弱めるより、〈に〉を用いて文意に勢いを生み出すべきなのである。
「実際に」|「に」を接続することで単語を強調する
先の引用文の文頭には「実際」と書いてあるが、志賀はなぜ「実際に」とは書かなかったのか。それはおそらく、「実際に」と書いてしまうと、その後の重要な情報「総てが暗闇に」の語気を弱めてしまうからであろう。この「に」には語の流れを断つような効果があると思う。
確認的・説明的な「そのため」|遂行的・叙情的な「そのために」
先の引用文の「そのために」を「そのため」と置き換えてみると「そのため、却って恐ろしい黴菌が繁殖した」となり叙情的な意味が消され、なにか説明的に感じる。「その」という指示代名詞で示すことーー引用文において総てが暗闇に隠されていたーーに確認的・説明的意味をもたせたいなら「そのため」を、遂行的・叙情的意味をもたせたいなら「そのために」を、それぞれ使い分けることがいいのであろう。
令和三年 三月
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