想像の要は統合です。ある要素とある要素とが混合され、調和されて出来るもの、それが想像となります。そうして出来た想像は、時を経て、革新性がはがれ落ち、ある要素として定着されます。そうして出来た要素同士を更に統合することによって、Y字のトーナメント表のように、より優れた想像が出来上がるのです。
つまり想像力を鍛える方法とは、ある要素とある要素とを統合する回数を増やすこと。単純な〈混合〉ではなく、調和のある〈統合〉ということが重要であります。
調和のある〈統合〉の回数を増やすこと
ちょっと想像してください。体重1トンの巨体なゾウが、小鳥のような翼をはやし、羽ばたき、空を飛んでいる姿を。現実から離れすぎて調和なんてありません。これは〈混合〉であり妄想です。ややもすると実現するのではないかと思えるものが調和のある〈統合〉で、優れた想像となります。魔法の杖をつかって呪文をとなえること、巨人が街に襲来することなどのファンタジー作品は優れた想像です。
「未知の体験」が想像力を鍛える!
ところで、〈統合〉する前の段階にある「ある要素」とは、実際に触れた出来事(実体験)にほかなりません。ですから想像力を鍛える方法として「未知の体験」は欠かすことはできません。しかし、砂糖の中毒者のように「未知の体験」の虜となってしまえば本末転倒です。
「未知の体験」という妖魔は、えてして私たちに新鮮で快適な感覚をもたらしますが、その代わりに私たちの観察力を食らいます。食らい蝕まれた観察力では、ものごとの浅瀬しか観られないため、そこで拾えた要素を統合したとしても出来上がるのは上物とは程遠い、下賤な俗物だけです。
だから未知なことを体験するときは、浮かれず、酔いしれず、知的活動を妨げられない程度においてという前置を肝に銘じるべきです。
既成道徳を疑ってみる
いろいろな制約から実体験を制限される場合があります。大金を持たなければ豪華絢爛なパーティーに出席することはできませんし、殺人者の心情は実際に人を殺めたことがなければ理解できません。
そういう場合、実体験は不可能ですから、私たちの想像によってパーティーの雰囲気なり殺人者の心情なりを仮想現実化しなければなりません。その際、私たちの想像を制限するのが既成道徳です。
既成道徳によって、事実窮屈であろうパーティーの雰囲気や、事実複雑であろう殺人者の心情は、単純に軽やかに浅はかに描かれてしまい、およそ想像とは言えない見るに耐えない粗末な妄想が出来上がります。
どうぞ既成道徳を疑ってください。優れた想像力を発揮するために。
「もし〜だったら」と仮定する
既成道徳を疑って、疑いが晴れ、晴れた空を同一の視点から眺め見るとき、はじめて「もし〜だったら」の仮定が有効化されます。「もし〜だったら」の仮定は、私たちの想像力を鍛え上げます。「もし、空から魚が降ってきたならば」「もし、地球がもう一つ存在するならば」「もし、恋人がサンタクロースなら」……
目的意識をとり除くこと
「目的意識をとり除くこと」は、想像力を鍛える方法というよりは、想像力を発揮するための環境を整えます。目的意識とは、誰かや何かの〈ために〉が念頭に置かれていることで、第一義的に何かを得ようと行為することです。金のためにファンのために何かを想像するのは大バカものです。目的意識があると、見えないプレッシャーが邪魔をして、自由で柔軟な遊び心が損なわれ、想像がつまらないものになります。
さんぽが想像力を倍加する
目的意識をとり除くことと同様に、「さんぽ」することで想像力を発揮できる環境を整えることができます。
どうしてさんぽが想像力を上げるのか。これは憶測でありますが、適度に全身を動かすことは生命を活動状態に入らせて、生きるために脳を活性化させる、しかし、過度に全身を動かせば、生命を疲労困憊に入らせて、エネルギーの放出を最小限に留める、または脳に休息させるよう仕向ける。したがって、生命の活動状態に適する環境を整えられる「さんぽ」が想像力を上げるのだと考えられます。
Want to be more creative? Go for a walk.
想像力を鍛える方法のまとめ
想像力を鍛えることで、今よりも想像はおもしろくたくましく知的な性質を濃く帯びるはずです。
想像力を鍛える方法をまとめると、一、ある要素とある要素とを統合すること、ニ、統合され出来上がる想像をさらなる統合の要素とすること、三、ある要素(材料)は(知的活動を妨げられない程度において)未知の体験をして獲得すること、四、既成道徳を疑うこと。
また、想像力を鍛える方法ではありませんが「目的意識をとり除くこと」や「さんぽ」という方法で想像力を発揮できる環境を整えることができます。
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