1925(大正14)年に同人誌『青空』に掲載された小説、『檸檬』とは、著者である梶井基次郎(1901〜1932年)の檸檬にまつわる思いでを “こころの体験” を通して「こころの不可思議さ」を精妙に著した作品である。
『檸檬』を「こころの不可思議さ」についての作品として捉えれば、著者が何を表現しているのか層一層と明瞭となるはずである。
でなければ、丸善をこっぱ微塵に爆破する奇怪な悪漢が……といった諧謔かつ憂鬱をうたった文章が、入試で頻出されるわけはない。
このころの時代背景としては、雑誌『白樺』(1910〜1923年)による西洋思想(メランコリー(憂鬱)など)の輸入、第一次世界大戦(1914年)による軍需景気の反動による不況、関東大震災(1923年)などの歴史が記されている。
梶井基次郎『檸檬』解説
梶井基次郎は、『檸檬』において、忘我にあったか無我にあったか、いずれかの境地に立っていたのであろう。檸檬との思いでは、辛抱がならなくなった美しい体験とはかけ離れた体験、唯一本人が、梶井だけが得られる “こころの体験” であった。人間の認識の根底を旅するような体験。知性や感性などの認識で捉えられてはいない檸檬とは、こころよいものだったのだ。
著者のやりきれない感情が冒頭においてあらわれる、〈えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた〉や〈何かが私を居堪らずさせるのだ〉というのは、辛抱がならなくなった美しい体験、その原因のことであろう。
それは音楽や詩作や美術作品などのあらゆる美しいものを量に換算して、かかる量によって快・不快の感情を喚起して、美しさを判断するという〈思いあがった諧謔心〉による人間に癒着した我見によるものである。
我見の世界では、あらゆるもの、あらゆる美しいものが呪われて映る。なぜならば、人間が認識すること、すなわち知は、みずからの利己的な解釈によって獲得された知であり、この知によって対象を(つまり檸檬を)見ている・感じとるからである。これが我見であり、我見によって、すべての人間は真に美しいものとは何か正体不明な呪縛を永久的にかけられているのである。
いいかえれば、美しいものとは単なる利己的な都合のいい解釈のもの、著者にとって〈レモンから獲得される冷覚や視覚や触覚や嗅覚によって伝わる電気信号、からだの振動のリズム、その量が〉快であるものである。……
ここでレモンといったのは、檸檬という対象がすでに著者の知的な活動によって解釈された「黄金色」で「紡錘形」の「カリフォルニアが産地」として有名なレモンに成ったものだからである。
このような〈美しいものを量によって換算する〉著者の解釈が、「えたいの知れない不吉な塊」の正体の一側面であり、なおかつ、近代から現代社会に蔓延する〈あらゆる観念の正体を暴露してきた〉科学によって発生した病原菌でもあり、この病原菌が私たちの(著者である梶井の)生活をすみずみまで蝕んでいるのだ。
もっともこの解釈は、著者のあらわす「えたいの知れない不吉な塊」の一側面であるにすぎない。この不吉な塊の正体の多面を開示すれば、ほんとうに呪われてしまうだろうため、ここでは差し止めておく。
なぜ呪われるかは、梶井基次郎の美しい体験がすべて過去の回想(または錯覚)であることを想起すればじゅうぶんであろう。先の解釈だけでは、これまで捉えられていた美しいものが急に呪われることはない。
この作品の問題は、あらゆる観念や感覚の根底にこころが存在するのかどうか、それを単に二分法によって存在の是非に終着させるのではなく、『檸檬』ではこころの存在を前提しているのだから、(著者の)こころのありさまを感受して、学的にこころの考察を深めることなのである。
先に記した“こころの体験”とは、人間のあらゆる知の活動に辟易している著者のようなもの、あるいは、純粋で汚れを知らぬものでなければ捉えられない感覚的な体験である。
「えたいの知れない不吉な塊」を知ってしまった著者がもう体験できない美しい体験をこころで体験すること、我見が除かれた忘我あるいは無我によって。…….
ところで丸善にまつわる文意だが、丸善は知を象徴しており、あらゆる知の活動を爆破したいという著者の静かなる瞋恚の衝動が、知の象徴である丸善に向けられているのである。
それは何か古都に建てられた、景観を汚す京都タワーに対する憤怒のようなものではなく、金閣寺を燃やさずにはいられなかった学僧の瞋恚なのである。
令和二年 五月
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