言葉は伝達されるというよりも、私たちが言葉という社会に参加することによって、社会の参加者の私たちをなんらかの仕方で触発する。そして私たちの意志疎通を可能にする。
ところで言葉という社会は一体どのように誕生したのだろうか。言葉という社会は、宇宙と同様に、超越的な原因・結果の法則が働いて誕生したのではないだろうか。
もしそうならば、それぞれの言葉をもつ動植物は、それぞれの小宇宙をもつと言えよう。
それだから、ある動植物の言葉という社会への参加・干渉というのは、私たちとの意思疎通の不可能な宇宙人が、私たちの社会(小宇宙)へ到来するようであり、動植物同士の大いなる衝突を予感させる。
これを思うに、私たちが言葉を形成するのではなく、まず言葉が私たちを形成して、つぎに私たちは言葉を形成するのであろう。言葉という社会に参加する私たちの態度が、言葉という社会に宿る精霊に伝わって、つぎに精霊はなんらかの仕方で私たちを触発するのである。
だからある者の堕落とは、ある者の言葉という社会に参加する態度が堕落しているからであり、その堕落ぶりが精霊へ伝わって、その精霊はなんらかの仕方でやはりある者を堕落するように触発するのである。
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