何か物事に「おそれる」を意味する字には、懼・惧・恐・怖・畏・怯などがある。これらの字の違いを主に『字通』を参考にして記したい。
惧れる(懼れる)
惧の正字は懼に作り、瞿声。瞿は鳥が左右をみておどろくさま。その心情を惧れる(懼れる)という。惧は俗字。具声。病になって痩せることを癯という。
これを思うに、何か身の危険を感じるとき、心配するときに「惧れる・懼れる」と用いるのがいいかもしれない。
書生猥褻なる小説を手にすれば学問をそつちのけにして下女の尻を追ふべく、親爺猥褻なる画を見れば忽ち養女に手を出すべし。懼れざるべけんや。然らば何を以てか猥褻なる文学絵画といふや。人をして淫慾を興さしむるものをいふなり。
『猥褻独問答』永井荷風
恐れる
恐の声符は工+丮、恐の初文。呪具の工を掲げる形で、神を迎え、神を送るときの所作。『説文解字』に懼るるなりとあり、神に対して恐懼することをいう。丮みて王に告ぐのように用い、のちその心情を示す意で恐となった。
広辞苑には、おそれるの意は一般に「恐れる」とある。
怖れる
怖の声符は布。『説文解字』に悑を正字とし、甫声。「惶(おそ)るるなり」と訓し、畏怖するような状態をいう。『字通』の語系欄に「怖・悑・怕のphaは同声。布・甫・白の声を同義に用いることからいえば、これらは恐怖・惶懼のときに発する驚きと恐れの声に由来する、擬声的なものであろう」とある。これを考えると、恐怖心から思わず叫声をあげるようなときに「怖れる」と用いるといいのかもしれない。
畏れる
畏は鬼の頭のものの形。『説文解字』に惡なりとし、上は甶(鬼の頭)、下は虎爪にして「畏るべき」ものとする。『字通』によると下部は人と呪杖の形である。卜文・金文の形は鬼頭の者が呪杖をもち、その威霊を示す形。夢などにあらわれるものをいい、卜辞(中国の殷代、亀甲・獣骨に刻んだうらないの文字)に「畏夢多し」などの語がある。
思うに、「畏れる」は、怪物や魔術など(あるいは神仏など)超自然的なものにおそれることをいうのだろう。子どもが龍神や獅子舞などをみて畏れるというように。
怯れる
怯の声符は去。説文に㹤を正字とし、「畏るること多きなり」、また「杜林説」として字を怯に作るという。「去」は大+凵(飯器の形)。盟誓の器の蓋を外し無効としたもの(凵)。獄訟に敗れた人(大)を、その自己盟誓の器(凵)とともに廃棄する意。水に流棄するを法(灋)。廃棄の意よりその場所を離れる。敗訴者の盟誓は、虚偽として蓋をとり去って無効とされ、その人(大)と、また羊神判に用いた獣の獬豸もともに水に投棄され、すべて廃される。
これを思うに、人びとが何かに怯れる(怯える)のは時代の正義に対する暗黙の裡の承認なのであろう。怯を用いた熟語には怯懦があり、これは臆病で意志が弱いこと、 おじおそれることを意味する。
令和三年 十二月
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