岸田 劉生(1891-1929年)は、大正から昭和初期に生きた画家である。文芸・美術雑誌『白樺』の初版本である表紙の意匠を担当し、日本に西洋の思想を輸入したのに貢献した一人としても知られる。
岸田は「デロリ」という表現を(美的概念を)生み出し、そのころ集団主義であり個が殺されていた日本人の美的感覚を喚起した。「デロリ」、その正体とは何か?
デロリとは何か?
「デロリ」とは「生ける屍」の表現であり、また、「観察する自己」が除かれた人間の本性ともよべる奔放不羈な、精神の完全に解放された自由な様子を表現している美的概念である。
「デロリ」を理解するにあたって「生ける屍」や「観察する自己」のような概念を知らなければならない。
生ける屍について
「生ける屍」というのは、正気の失った肉体だけが生きている状態のものである。
逆説で用いて、ここでは「生ける屍」とは、まわりの規律を気にも留めない、精神の自由が完全に解放された状態の生物を示している。
関連語としては、ネクロフォリア(死体愛好、屍姦)や無遠慮、無性格、無防備などがある。
なお「生ける屍」と「観察する自己」とは対蹠的な意味合いである。
観察する自己について
「観察する自己」というのは、つねに集団の規則と一致させるために己の行動を観察・自省すること、つまり精神の自由が束縛された状態、精神の不自由な状態を示している。
「観察する自己」すなわち精神の不自由を除き去り、「生ける屍」すなわち精神の自由が完全に解放された状態の表現を「デロリ」といえよう。一体どうして日本人は「デロリ」に惹かれたのか?
集団主義であった日本人が、自由・個人主義を象徴した「デロリ」に惹かれた
私たちの本性というのは、どこまでも自由を要求する。
岸田が生きた時代の日本は集団主義にあり、あらゆる義務観念が(観察する自己によって)個人の行動を規制していた。個人の行動を集団の行動に一致させなければならず、日本人の精神の自由は〈意識的にも無意識的にも〉抑圧されていたのである。
そこで時代思潮を読みとった岸田は、おそらく西洋の思想(精神分析、メランコリー)とみずからの独創とを結びつけて「デロリ」の表現を産み出し、《麗子像》を描いて、日本人に固有な美的感覚を喚起したのである。
実際に、1920年(大正9年)に雑誌『國粹』に掲載された岸田の随筆には
「結局は今日の日本画は殆ど凡すべて駄目、今日の日本画家の大半は西洋画にうつるべし、さもなければ通俗作家たれ。」
『想像と装飾の美』
というように日本画の精神性を批判して、西洋画を(つまり個人主義、自由主義を)倣うことを主張している。
デロリの魅力が失われるときは、ひとつの日本の国民性の退廃のときである
いわんや、岸田は、個人主義や自由主義が日本に輸入されたあとに避けられない日本の国民性・文化の退廃を予見していた。
その証拠にかれは『新古細句銀座通』(「東京日日新聞」1927年)において
「一切の物質文明は何といっても、今後の日本を欧化させずにはおかない。かくて日本は欧化され切った時にはじめて欧化されない日本自身のすがたを見ることであろう。」
と書いている。
男は女に惹かれる、というように、生物は反対の性質に惹かれる傾向性がある。それゆえ、集団主義に生きる精神の不自由な日本人は、劉生の「デロリ(精神の自由)」に惹かれてしまう。しかし、今日の日本の個人主義は、われわれの国民性あるいは感受性を変容せしめ、「デロリ」の魅力を相対的に低下せしめたのであった。
実際に美術館で鑑賞しなければ、岸田の「デロリ」の真髄をあじわえることはないだろう。「デロリ」の表現は《麗子像》に描かれるごくごく微細で繊細な揮毫から感じとれるからであり、画素の粗野なWEB上の画像では「デロリ」をあじわえることはないと思われる。
令和二年 五月
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