何かを断定するときに「〜に過ぎない」という。ここにたとえば「人間」と「一本の葦」ということばを加えて文を作ると「人間は一本の葦に過ぎない」となる。これをいい換えると「人間は単なる一本の葦だ」になる。「いい換える」というのは一つの対象をそれぞれの視点から眺めることなのだから、二つの表現は似ているけれども非なるものである。他者の立場をなるべく尊重したい人なら、一つの表現をあるがままに理解したい。
それで「〜に過ぎない」とは何か?またこれと似ている表現の「単なる〜だ」とのちがいは何か?あることを理解するにあたって必要なのはおよそ「比較」と「分解」とである。この二つの手法に頼って「〜に過ぎない」という表現を考えてみてみたい。
「〜に過ぎない」と「単なる〜だ」という表現の比較
「〜に過ぎない」という表現を英語に訳すると、Just-、Only-、No more than-などになる。このうち「〜に過ぎない」を最適に表現する英語は、文脈にもよるけれども、 「No more than-〜を超えるものではない」であろう。これが最も「〜に過ぎない」を代替するのは「〜に過ぎない」という表現を分解するとわかるように思う(後述)。
さて、「Just-」というのは「的確な」または「正確な」という形容詞である。そしてまた「Only-」も同様で、one-lyなのだから、これらは「単なる〜だ」、「唯一の」などと訳すべきであろう。つまり「〜に過ぎない」と「No more than-〜を超えるものではない」というのが、ある対象が含まれる範囲を想定した間接的な表現であるのに対して、「Just- Only- 単なる〜だ」というのは、ある対象の直接的な表現ということである。
「〜に過ぎない」という表現の分解
「〜に過ぎない」を分解すると、「助詞の〈に〉」、「動詞の〈過ぎる〉」、「助動詞の〈ない〉」という三つの要素に分かれることになる。
助詞の〈に〉は前に置かれる目的語を示すのであるけれども、どうして〈を〉を用いて「〜を過ぎない」ではないのか。おそらく助詞の〈を〉はその目的語を空間ではなく物体にとり、いっぽう助詞の〈に〉はその目的語を空間にとるからであろう。
そして動詞の〈過ぎる〉について。過ぎるの語源をみると〈過〉という字は
声符は咼。『説文』に「度るなり」と度越・通過の意とする。咼は残骨の上半に、祝禱を収める器(口、ᆸ)の形を加え、呪詛を加える呪儀。特定の要所を通過するとき、そのような祓いの儀礼をしたのであろう。
とある。つまり語源を考えると、〈過〉という字は、何か観念的な意味があるところを通過するものである。それを助動詞の〈ない〉で打ち消しているのだから、人間は一本の葦(という概念空間)を超えるものではない。
つまり「〜に過ぎない」という表現は、物体的なものをあらわすのではなく、空間的な・観念的なことを超えないことをあらわす用法である。だから「人間は一本の葦に過ぎない」における〈一本の葦〉というのは当然比喩であり、または〈一本の葦〉という概念空間をあらわしているのである。「〜を過ぎない」という物体を目的語にとる表現ではその意味に深みを感じることはないのである。
おわりに
一つ付言すると、それは、一本の葦であれ何であれいかなる概念空間に安住するものはみな大衆であるということである。ただ大衆から抜きん出るものは概念空間に安住することなくこの空間を絶えず超えんとする不撓不屈の意志のもちぬしーー考える葦ーーなのである。
令和三年 九月
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