自分の文体について考えたことのない作家はいないだろう。書くことを職業にするなら、商品でもある文体を点検しない人はいないだろう。文体というのは単に「です、ます」や「だ、である」などの語調を意味するものではなく、どういう語彙・語順・語数・表現(比喩)・リズムで構成するかを意味するものである。それはまた作家の個性を反映するものでもある。
さて先の文で私は仮定法の〈もし、なら〉という構文を導入した(書くことを職業にするなら……)。この仮定法の構文には〈もし、ならば〉とか〈もし、のであれば〉とか〈もし、のであるならば〉とか〈もし、のであるとするならば〉とかいう似た意味のしかし語数のことなる多様な構文がある。文意を強調するときにこれらの構文を使い分けるのだが、その使い分けを無秩序にしてしまうと、文体(商品)の完成度をそこなうことになる。それゆえに鋭敏な読者には読んでもらえなくなるのである。
それでは仮定法の構文をどのように使い分けるのか、その基準を決めるためには複数の構文を比較してみる必要がある。
仮定法の複数の構文を比較する
〈もし、なら〉と〈もし、ならば〉と|「バ」の効用
つぎの二つの文章は「確定条件」ではなく「仮定条件」を表すものである。すでに書くことを職業としているなら「確定条件」であり、まだ書くことを職業にしていないなら「仮定条件」である。
【一】「(あなたが)書くことを職業にするなら、文体を点検する必要がある」
【ニ】「(あなたが)書くことを職業にするならバ、文体を点検する必要がある」
【一】と【ニ】とを比較すると、そのちがいは主に三つあるように思われる。
第一に、そうなることの(書くことを職業にすることの)「確率性」であり、第二に、そのことに対する主体にとっての(発言者にとっての)「重要性」であり、第三に、その表現の「一般性」である。
第三類の表現の「一般性」というのは、その目的を表現とする私的文書ほど低くあり、その目的を報告とする公的文書ほど高くある。いわゆる主観的か客観的かというちがいである。
「バ」のある文は、「バ」のない文と比べて、書くことを職業にする確率は高く、そのことに対する主体にとっての重要性も高く、表現の一般性は低くあるように思う。
〈もし、するならば〉と〈もし、するのであれば〉と|「ので」の効用
【一】書くことを職業にするならば、
【ニ】書くことを職業にするのであれば、
接続助詞としての「ので」を叙述の末に置くと、たとえば「書くことを職業にしたので、最新の辞書を買った」というように、確定条件の順接を表すことになる。上の例文の場合は「ので」を叙述の末に置いていないので、「の」と「で」とは、それぞれ別の品詞をーー「助詞」と「助動詞」とをーー表すことになる。が、「ので」からは確定条件の順接のイメージを強く感じるため、そうなること(書くことを職業にすること)は、確定しているか、もしくは高確率で、主体にとってのことの重要性はかなり高く、表現の一般性はきわめて低くあるように思われる。
これを別の例文でみると、
【一】「猫を飼うなら、猫用のトイレを買おう」
やさしい父の肯定的ニュアンス
【二】「猫を飼うならば、猫用のトイレを買おう」(用意しなくては)
厳しい父が重い腰をあげる感がある
【三】「猫を飼うのであれば、猫用のトイレを買おう」
厳しい父が重い腰をあげる感があり、猫を飼うのは高確率
「ので」のある【三】からは、発話者(主体)が猫を飼うのを決めたように感じる。
〈もし、するとすれば〉と〈するのであれば〉と|助詞の「と」について
助詞の「と」には並列関係を表す意味がある。「あなた」と「私」と、「書く」と「話す」というように。また、接続助詞の「と」には確定条件の順接や一般条件、仮定の逆説を表す意味がある。このことを念頭において、つぎの文をみてみよう。
【一】書くことを職業にするとすれば
【ニ】書くことを職業にするのであれば
【一】の文は誤りではないだろうが、なんとなくおかしく感じる。その後の叙述にもよるが、その原因はおそらく、「と」のもつ確定の意味合いと、「に」のもつ仮定の意味合いという相反するものを一文に混合したからだろう。
「に」に仮定の意味があるというのは私の偏見だが、たとえば「君に伝えたい」や「家に入ろう」という場合の「に」は、方向を表し、これから何かをするような意味にとれる。いっぽう「と」には、たとえば「君と会うのは久しぶり」や「家に入ると、父が待っていた」など、行動の完了・確定の意味がある。しかし【一】の文章を「書くことを職業とするとすれば」と、「職業に」を「職業と」に変えてみて、その文の意味合いを統一しても、語呂のよさには合点できず、やはりおかしく感じる。
〈もし、するのであれば〉と〈もし、するのであるならば〉と|「あれ」と「ある」と
【一】(あなたが)書くことを職業にするのであれば
【二】(あなたが)書くことを職業にするのであるならば、
【二】の文の発話者は、書くことを職業にするという行動に着目しているのではなく、職業にする(あるいは職業にしたい)という行為者に着目している。というのは〈である〉とは、主語の運動を止めるような語であるから。
それだから、それぞれの後の叙述は、書くという行為に付随する重要なことを表すものであるか、書くことを職業にするその主体に起こり得る重要なことを表すものであるか、である。
【一】書くことを職業にするのであれば、語彙を増やすために、様々な本を読まなければならない。
【二】書くことを職業にするのであるならば、あなたは今の会社を辞めなければならない。
令和三年 二月
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