岐阜県土岐市の「美濃陶磁歴史館」にて開催されている「東美濃の縄文土器-東と西の文化が出会う場所」イベントに参加してきた。
「開催期間」「入場料」「アクセス」「混み具合」「イベントの感想」などを本記事で紹介したいと思う。
東美濃の縄文土器-東と西の文化が出会う場所 情報
開催期間 | 2019年5月31日(金)~2019年9月8日(日) |
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時間 | 午前10時00分~午後4時30分(入館は4時まで) |
料金 | 一般:200円(150円) 大学生:100円(70円) 高校生以下:無料 ※()内は20名以上の団体料 障がい者手帳をお持ちの方 一般100円、大学生50円 |
休館日 | 月曜日、祝日の翌日(7/15、8/12は開館) |
アクセス | JR中央本線土岐市駅から19号線のある北側へ徒歩およそ10分 名古屋駅から土岐市駅まで50分ほど |
ホームページ | 公式ホームページ |
場所 |
私は休日(土曜日)のお昼すぎに入館した。
そのときには館内に人は見かけられなかったため、混み具合について心配は不要である。
落ち着いて鑑賞できる。
東美濃の縄文土器-東と西の文化が出会う場所 感想
日本の美の原点とも呼ばれる「縄文土器」を鑑賞するために足を運んだ。
しかし私は「縄文土器」から「美」を見出すことはできなかった。
縄文人と現代人との美的センスの違いであろうか。
それとも私の美に対する理解力の欠如を表しているのだろうか?
縄文土器の中には、爪をくい込ませる装飾方法で土器の模様を施しているものがある。
少しだけ潔癖症の私は、美というよりも汚を感じざるを得ない。
ところでこのイベントで私が惹かれた作品はふたつある。
ひとつめは古田織部の織部公像である。
実際には当イベントとは関係はなく、美濃焼の歴史を紹介する展示室で公像とでくわした。
①織部焼きの創始者、古田織部
織部公像を写真におさめることはできないため、文章におさめることにする。
ときは安土桃山時代。
ここに大広間の畳一畳分に座している古田織部の造形像がある。
何者かが会議途中の織部を突つかんで、現代にまで織部を持ってきたかのようである。
左手のがっしりと握られたコブシは「力」を表し、右手に持つ長さ30センチほどの木べらのようなもの(笏)は「知」を表す。
物腰の柔らかそうなその顔の丸みは裕福な育ちであることを証明し、重みと厚みのある袖の長い甚兵衛のような黒の羽織と、深緑のハカマとの装束は、織部の威厳を強固にせしめる。
カブトムシのツノのような流行りの将軍ヘアー(烏帽子 )は、現代社会ではほとんど見ることのない滑稽なヘアースタイルと思われる。
背景にある達筆の手紙、これは織部が知識人であることを証明する。
織部(本名は古田重然)は「武士」である傍ら、千利休の高弟である「茶人」でもあった。
安土桃山・戦国時代の将軍にふさわしい智謀者であることがうかがわれる。
織部焼と芸術についてのメモ
安土桃山時代には新たな美が生まれ、極端に歪んだ織部茶碗が受け入れられた。
歪んだ芸術に美を感じることは、芸術作品をつくる職人・芸術家が美の究極地点の感覚へ到達している印であると思われる。
この時代に生きる人たちは、健全な生活を送っており、また歪みのない真っ当な政治が行われていたのだろうか?
というのは、芸術作品は、その時代の背景の抵抗から生まれるとされるからである。
安土桃山時代・戦国時代とは動乱の時代であるが、そこに生きる人たちに心の歪みはなく、己の主君に一身をささげる忠誠心があった、ということだろうか。
②黒曜石の美しさ
ふたつめに惹かれた作品は黒曜石である。
今日一番の収穫は、紛れもなく、黒曜石であった。
曲線と直線との意匠をこらしたこのゴツゴツとした天然石の「色」は、私の心を動かした。
そんなに石をまじまじとみつめたことは今までになかったのだが、私は食い入った。
なにが私の心を動かしたのか?
また「美濃陶磁歴史館」に足を運んでみないとわからない。
私の記憶に頼る文章はここで途切れる。
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