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あなたの身近な行為でバレる自己中心主義(ジコチュウ)

身近な行動でバレる自己中の行動

「人間だれしも自分がかわいい♪」

「人に迷惑をかけない限り、なにをしても大丈夫!!」

このような考え方が根底にある人を自己中といいます💦

あなたの周りに自己中の人はいらっしゃいますか?

もしかすると、あなたが自己中ということもあるかもしれません。

自己中は嫌われるもとのみならず、他人に迷惑をかける最悪の思考・行動です。

周囲から「あの人なにも考えていない!」と、反感を買うかもしれません。

そんな自己中が身近な行動でバレる!

どのような行動で自分の自己中がバレてしまうのかは、以下のとおりです。

1.買い物で商品を選ぶとき、日付を確認して奥にある商品をとる

自己中買い物選ぶ

日付を確認して新鮮な商品をとる行動。

「消費者としてあたりまえの行動でしょ!」

と思っていませんか?

これはまさに自己中の典型といえる行動でしょう!

「自分が新鮮な商品を選べば、ほかの人はどれを選んでも関係ない」

という論理が見え隠れしています。

商品を選ぶときは、手前から順番に取ることが暗黙の了解です!

誰かが決めているわけではありませんが、社会にはこうした暗黙の了解(共通善のようなもの)があります。

「商品を選んでは戻す」という行動を見ている周りの人に、不快な気持ちになる人は多いです。

スーパーのやきいも売り場がよい例でしょう。

2.自転車走行中にイヤホン(ヘッドフォン)を使用する

自己中自転車イヤホン装着

原則、自転車走行中にイヤホンを使用することは禁止されています。

街中を歩いていると、イヤホンを使用しながら自転車走行をしている人は多いです。

イヤホンをしていると、周りの音に気がつかず、注意力が散漫になります。

歩行者に気がつかないことや車が近づいてくる音に気がつかないなど、事故に発展する危険性はグンと高まります。

自転車走行中のイヤホン使用は自己中の典型です!

自転車走行中にイヤホンを使用することをやめるべきです。

3.電車内で優先席に座る(健康体にもかかわらず)

自己中で優先席のイラスト

電車が空いていて誰もいないからといって、優先席に座るという行為。

こうした人たちは「電車が混んできてから席をゆずることにしよう」と考えている人が多いと思います。

しかし、優先席をゆずるときに、席をゆずり受けた人誰もが快い気持ちになるわけではありません。

中には、「年寄り扱いするな」「不健康そうに見えるかね?」と席をゆずられてムッっとする人もいるでしょう。

謙虚な人は席をゆずり受けても「大丈夫ですよ!!」と拒否する場合もあります。

電車内が空いている場合でも、健康的な人は優先席ではなく、一般座席に座ることがマナーです。

健康体であるのもかかわらず、電車内で優先席に座る人は自己中といえるでしょう。

4.たばこを吸う(路上喫煙)

自己中路上喫煙タバコ

路上でたばこを吸う行為は立派な自己中のあらわれです。

周りの人は有害物質を含む副流煙の悪影響を受けます。

たばこを吸うことが自己中というと、多くの喫煙者から

「自分たちは “たばこ税” を納めている、それで経済が回っている、だから文句はないはずだ!!」

というご指摘を受けます。

しかし、現在はタバコによる税収入よりもタバコの悪影響による医療費がはるかに膨らんでいるといわれています。

また、「道徳を忘れた経済は罪悪である」という二宮尊徳の名言を忘れてはならないでしょう!

さらにいうと、タバコを吸った後の45分間は臭いが体にまとわりつくデータもあります。(厚労省調べ

こうしたこともあり、奈良県の生駒市役所では喫煙後の45分間はエレベーター利用を禁止する取り組みが行われています。

たばこを吸う場合は、“喫煙コーナーのみ”でどうかよろしくお願いします。

まとめ

身近な自己中心主義のあらわれは以下の4つです。

  1. 買い物で商品を選ぶとき、商品の日付を確認して奥にある商品をとる
  2. 自転車に乗りながらイヤホン(ヘッドフォン)を装着
  3. 電車内で優先席に座る(健康であるにもかかわらず)
  4. たばこを吸う(路上喫煙)


導入文で「人に迷惑をかけない限り、なにをしても大丈夫」と述べました。

そもそも迷惑の判定基準はどこにあるのか迷います。

相手に迷惑をかけているかどうかは、結局のところ自分で判断を下しているのです。

これが意味することは、社会(誰か)が共通善(迷惑の基準など)を決めなければ、共通善は個人の判断(人間観)に委ねられるということです。

個人に内在する人間観は多様であるため、共通善が個人に委ねられる場合、その線引きには差異が生じます。

つまり、どこからどこまでの行動が他人に迷惑をかけているのかにバラツキが生じるのです。

社会が共通善を決めればカンタンに解決できる問題に思えますが、社会が共通善を決めることで、少数派に属する個人の行動や意見が認められ難くなる事態に陥ります。

共通善が行き過ぎてしまえば個人の権利が軽視されることになり、

一方で個人の権利が過度に尊重されてしまうと社会に亀裂が生じます。

つまり、共通善(迷惑の基準など)は個人でも社会でも取り決めるのが難しい問題なのです。

ここに新たな主義・思考の概念を持ち込むことが(パラダイムシフト)21世紀の共通善(個人と社会)に関する重要な手がかりです。

それは中心主義ではないことは確かでしょう。

相対主義にも限界があると感じます。

共通善はあらゆるところに潜伏する問題です。

身近なところでは、飲食店の滞在時間やシートベルト問題などがあります。

現代社会に生きる私たちは、生涯をかけてこの問題を考える必要があるかもしれません。

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