先日、標高2000mほどの山を折りたたみ自転車で登った。
途中休憩を挟んでおよそ4時間。麓から山頂付近までの道程に足を休める下り坂はなかった。
この山の麓から山頂付近まではバスが往復運行している。片道で1日2便。バスに乗車してこの山の頂からみる絶景を堪能してもよかった。しかし、わたしは自転車で登ることを選んだ。
美の感受性を繊細に敏感にする
美の感受性を繊細にまた敏感にすることは、すなわち、山頂からみる景色の美しさに、美の感度が絶頂に達しやすくなることを意味する。
この感受性は、好奇心と探究心と目的達成とによる精神的高揚と、疲労による肉体的苦痛とによって繊細に、また敏感になる。
たとえばこれは性行為の官能的な愛情表現と似ている。
性行為開始からものの数分でわたしたちが絶頂に至ることはない。
口先手先による愛撫。息急き切った肉体の運動。絶頂に至るまでの快楽の道程が、感受性の感度のゲージを溜めて、満タンにして、そして行為の絶頂によって感度が解き放たれて、至上の快楽を得る瞬間。その瞬間に至るまでの手段がここでは自転車なのである。
だからわたしは自転車で山を登ることを選んだのである。
食欲のような美欲|山で食べるものはおいしい!
上記の美欲の説明は、食欲においてもいえることである。
山登りして頂上でいただくご飯の味は、やはり格別であり、日常の味覚との感覚とはまた異なる。
また景観などの美の印象というのは、絶対的ではなく、相対的に規定される。
そのため見る者の主観的な位置付けがなによりも重要になるのだ。
バスや車では味わえない美の絶頂!チャリ旅の意義
チャリ旅(自転車による旅)が意義を有するのはこの点にある。
バスや車とは違って、自転車では麓から山頂に近づくにつれて美の感度が少しづつ徐々に徐々にゆっくりと高められていく。
バスや車では山頂まで到達しても精神的高揚は十分に得られない。また、肉体的苦痛はないため、美の感度のゲージが溜められておらず、山頂に到達しても絶頂に至ることはない。
わたしたちがたまに無性にチャリ旅をしたくなる理由は、美を感じたいという美を求めるところから来ているのだ!
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